9.3水戸の鍛錬会での学び その1

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少し前の話になるが、9月3日は、水戸の地で行われている「水戸鍛錬会」に、久しぶり2回目の参加をさせていただいた。

鍛錬会では日本刀での試斬の他、短刀捕りが行われる。

前回参加の時は、様々な試し斬りの様子を動画にアップしたが、今回は短刀捕りの様子を遠山師父が一部写真で撮影をしてくださっていたので、それを元に今回の経験をあらためて振り返ってみたいと思う。

こうして見ると、自分の表情からは短刀捕りの緊迫感は伝わらないかもしれないが、実際にこの時の短刀はゴム製だったというのに、後で気づいてみれば以下の写真のように突かれた後が血が滲んで痕になっているくらい本気度の高い激しい稽古であった。

写真については、一枚目は形意拳の猴形拳を手を斬られないようにコンパクトに構えた時のものだ。そこから4枚目の最後のインパクトの瞬間には馬形拳に変化しながら相手に打撃を加えている。

写真を見て初めに自分が感じた印象というのは、瞬間瞬間を捉えた連続写真にただ感心するばかりであった。間合いの確認にもなるなあなどと、上記のようなそんな表面的なところにしか目がいっていなかった。この時はまだ鍛錬会の意味が自分の中で消化しきれてないとしか言いようがない。

というのは、師父にお礼のメッセージを送ると、そこからの会話で途端に色んなものが徐々にハッキリと見えだしたからだ。

その時の重要と思われる会話を抜粋すると、

◆自分:
「写真をありがとうございました!
対峙している時の距離感などが確認出来てありがたいです!
打っている瞬間は必死さが伝わって来るような表情ですね。(^_^;)
よくこんな瞬間を連続で捉えていただけたものだと思います。」

◆師父:
「昨夜は色々な想いが巡って眠れませんでした。写真はおっしゃる通り、自分でもよく撮れたなと思うぐらい…戦場カメラマンの心境で必死に撮っていました。ビデオの流し撮りではそんな心境にはならなかったと思います。」

◆自分:
「確かに「良く捉えていただけた」どころの軽いものではなく、まさに「戦場カメラマン」のような心境という言葉にハッと反省させられる思いです。
まさしくその通りですね。
昨日は正直、無我夢中という感じでしたが、後になればなるほど、ジワジワと色んな事が意味を持って心の中に滲み上がってきます。」

というような次第である。

実際、この会話がなされた後であらためて写真を見ると、自分の状態が全く違った視点から見えてくる。

1枚目に関しては前述の通りだが、2枚目の自分の口許は心なしか笑って見える。猴の「狂」の字が滲んで現れているからか。4枚目の馬形拳も、馬の一つの大事なキーワードである「驚」の字が表情に出ているようにもとれるし、掌の表情にもはっきりと馬の相が出ている。

ちなみに、自分は元々人前が苦手で緊張しやすいタイプの人間だったわけだが、こうした緊迫した場面でもなぜか身体が自動的に動くということ。それが一つには動物拳の持つシステマチックな働きなのだろうとも思う。

しかし、そこで止まってはならず「動物の拳法ではなく、人としての拳法でなければならない」というのが師祖父からの大事な教えだ。

その意味が、今回の経験を通して少し理解が深まったように感じる。

例えば祖父江さんをはじめ、他門派の先生方は皆、まさに「火」の如き気迫に溢れていた。その気迫によってナイフを持った相手を圧倒する。

それに比べて自分はというと、写真を見てもお世辞にもそうした気迫は微塵も感じられはしない。

しかしそれも「陰陽」で良いのだと、後から思った。比べるものではないのだ、と。

相手の殺気を火の如き気迫で焼き尽くすのではなく、相手がどんなに殺気を放とうとも、自分の中をスッと通り抜けていってしまうような静かな水のような心…そうした「水の心」こそ、自分の目指すべき境地のように感じる。

気迫に対して無理に気迫で対抗しようとせず、むしろ、

もっと静かで穏やかに。
もっと澄んだ心で。

そうした考えの方が、自然と水の如く自分の心と体に染み入ってくるし、心身ともに軽やかになる感じがする。

それが自分の、人としての拳法。そんな手がかりを掴んだようにも思える。

こうした得難い学びが得られるのも、水戸の鍛錬会ならでは、だ。

精花太極拳

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二つの太極拳」で初めて話に触れた精花太極拳だが、現状の明鏡拳舎においては、すっかりなくてはならない存在になりつつある。

ホームページの太極拳の項目には、精花太極拳の紹介文として「精花太極拳が生まれた背景には、癌で亡くなった私の一番弟子が闘病の中で共に練習していた時の様々な経験が根本にあり」という文章を載せているが、あらためて、そうした経験がなければなぜ大切な双辺太極拳を再編纂しようなどと思うだろうか。

今更ながら、「双辺太極拳から八卦掌や形意拳の要素を抜いたら?」という発想に至ったのには訳があった。

それはまだ開門弟子が闘病中だった時のこと。癌で闘病中の弟子が悲しそうに言うには、点滴の針が刺さった腕で練習をしようとすると、双辺太極拳の最大の特徴でもある「螺旋」があるが為に、

「点滴の針が腕の中でよじれて痛い」

と言うのである。

そもそも点滴の針が刺さった状態で練習しようということに無理や限界があるのかもしれない。

だが自分がこの言葉を聞いた時、どんなに悔しく愕然としたことだろう。この時の自分には、弟子の真摯な気持ちに答える言葉がなかった。

弟子が亡くなったあともずっとその言葉が頭を離れることはなかったし、この言葉こそが精花太極拳を生んだと言っても過言ではない。

だからこそ、自分にとって精花太極拳の前で言い訳は出来ない。老、病、障がい。どんな壁があろうとも、弟子の頑張っている姿が瞼に焼き付いている限り、あらゆる工夫をしながらでも我々の太極拳の愉しさや素晴らしさを育んでいきたいという想いがある。

一方で、もう一つ発見もある。

その後、精花太極拳を研究していくうちには消したはずの螺旋が全く消えたわけではなく、今までと違う形で入り込んでいるのだというのがわかってきた。八卦掌も形意拳も同様に、気づかないうちに別の姿に変わっていつのまにか緩やかに溶け込んでいることに気づく。

やはり、双辺太極拳は双辺太極拳なのだ。

双辺太極拳から精花太極拳を再編したことの意味とは、原理原則を現実の場で活かすということ。それもまた一つの「応用」だ。双辺太極拳は武術的な視点においても応用が多彩であればこそ、体の弱っていた弟子の為に双辺太極拳を応用したものなのだと捉えると本質が見えてくる。

それによって、精花太極拳を練ることで不思議と八卦掌にも形意拳にも良い影響が現れることの理由も見えてきた。何より双辺太極拳もまた、精花太極拳を身体に通した後は動きが変わるのを如実に実感する。これは全く予想もしなかった角度からの深化だった。

しかしそれもまた「真摯に歩んで行けば自然と今の自分が乗り越えるべき課題が現れる」という事と、その結果であろう。

自分にとってはまさにそうした存在であるように思えるし、生徒達にとってもまた必要があって生まれたものなのだということも実感している。

武術の道を歩んでいくという縦の糸と、その過程での出会いや関わりといった横の糸とが複雑に折り重なって編まれた太極拳。おそらく他人には興味を持たれることもないだろうが、我々にとっては内功武術という大きな模様の中に描かれた大切な一部だ。

 

競技推手大会の結果報告

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フェイスブックでは既にアップしておりますが、明鏡拳舎・会員の皆さんへのご報告を兼ねて、先日6月25日(日)は、葛西 眞彦先生及び全日本競技推手連盟主催の「全日本競技推手選手権大会」に参加させていただいたので、まずはその結果を。
軽量級と無差別級の2クラスにエントリーし、どちらも準決勝まで進むことが出来ましたが、結果としては、

★無差別級 四位(入賞なし)
☆軽量級 三位
☆敢闘賞

という感じで終える事が出来ました。

軽量級と無差別級のふたつの準決勝・3位決定戦の連戦はかなり体力的にも消耗しましたが、その経験の中で得たものも大きかったように思います。

大会会場では、久しぶりに遠山師父ともお会いし、「陳泮嶺世界家族聯盟」による福岡での講習会の様子や、来賓していた台湾の諸先生方の相手役を務める中で得た様々な技術など、有意義なお話をたくさん伺う事が出来ました。

その後、半年以上ぶりに遠山師父に稽古をお願いすると快く引き受けてくださり、帰りの足でスタジオまで伺うと、思いがけず「龍形剣」を伝授してくださって、それはまさに大会で疲れた身体に沁み入るような至福の時間でした。

大会の後には葛西先生の講習会もあり、実際に大会に参加してみた後で競技推手の世界チャンピオンである葛西先生の講習会も受けてみたかったなという気持ちはありつつも、やはり師父にこうして教えていただく事が自分にとっては一番嬉しい。あらためてそんな想いを抱いた日でもありました。

Iさんの太極拳

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宇童会の生徒の話をする時に、繊細な感覚の持ち主ということでプロのギタリストさんのYさんの話を時々あげるが、もう一人、繊細な感覚を持つ生徒に、全盲のIさんがいる。

基本は個人レッスンの形で教えているのだが、彼女との会話は、とても面白い。彼女との会話の内容はまるで内功武術的な話のオンパレードだ。

ものが見えないからこそ、見た目の形や雰囲気に惑わされることがない。動きそのものを見る。まるでソムリエがワインの味や香りを語るが如く、触れた掌からポン勁と捻りが紡ぎ出す動きの変化や性質を語り合うその面白さは、まさしく「ワインを愉しむ」かのように、「太極拳を愉しむ」といったような面白さである。

形としては一見似ていないような動きでも、「この動きは、○○と同じですね!」「この動きは○○の変化した感じですね!」と、長年練習を積んだ方と話すような会話が最初から普通に出てくるし、動きを導けば、「何この動き⁉︎それに、すごく身体が動く!」と誰よりも打てば響くような反応を示してくれる。

こうしたダイレクトな反応というのは、教える側としても嬉しいものだ。

逆に、太極拳を教える時にただ「この動作では爪先の向きを何度にする」「手をどの位置に出す」というような説明や動作だけでは、「これが太極拳です」と言われても、「形を見る」のではなく、触れて「動きの本質を見る」彼女にとっては、体操やダンスとの明確な違いは感じられないだろう。

彼女にとっての太極拳らしさとは何か。

それは、太極拳の動作にはストーリーがあるということ。

もちろん、体操やダンスにもテーマやストーリーを設けるのは当然だろうが、それらとの違いは何かというと、触れた掌から伝わる筋肉の動きや繋がりや変化といった皮膚感覚そのものにも流れがあり、ストーリーがあり、リズムがある、ということだ。

ゆっくりふんわりと動く中に、全身の繋がりによって起こる複雑な変化。川の流れのように滔々と変化し続ける動作と共に身体に起きている起承転結を、直に触れながら皮膚で感じとるもの、それが彼女にとっての「太極拳らしさ」なのだ。

そのIさんは今、事情があって休会しているのだが、99勢の第三段・94.轉身左劈面掌まで終わっていて本当にあと少しのところまで来ている。

亡くなった弟子が土に種を蒔き、それが今、スクスクと成長しながら花を咲かせようとしている矢先のやむを得ない休会で、自分が宇童会に通っている間に99勢を教えきらなかったのは残念ではあるのだが、きっと遠からず99勢に辿り着く事は間違いない。

そして、その花が実った時にはきっと我々の内功武術に優しい彩りを添えてくれることだろう。

新・武術修行記 〜水戸鍛錬会〜

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宇童会を引き継ぐことを決断したのは、昨年の始めのこと。最後の総まとめとして区切りとなる今年の5月まではメールの返信の中での指導なども含めて宇童会にこそ全精力を注いできた状態だったが、その間にも自身にとって大事な出来事が幾つか存在する。

まずは「水戸の鍛錬会」での自身初の試し斬りがその一つである。

今回のブログの内容については、なにしろ去年の出来事であるし、タイトルもどうつけたものかと悩んだのだが、ふと「新・武術修行記」という文字が浮かんだ。そうだ、これは今の自分の心境にぴったりだ!

水戸鍛錬会の様子は以前にフェイスブックにも簡単にアップしたのであるが、修行記として改めてその時のとこを振り返ってみたい。

きっかけは、雑誌「秘伝」などにも時々登場されている祖父江さん(「先生」とお呼びしたいところですが、そう呼ばれるのを嫌っていらっしゃるのであえてこう書かせていただいてます)から、以前からの知り合いという事もあってお声掛けいただきこの貴重な機会を得たわけであるが、これで何よりありがたかったことは「はたして自分は古流の剣術の学んだこともあったし、今もまた中国武術の刀や剣も行うが、果たして自分の太刀筋は実際に物が斬れるものであるのか?」その疑問を検証する良い機会をいただくことが出来たことである。

結果として、幸いにも普段練習しながらイメージしていた刃筋は実際においても通っていたいたようで、思いの外スンナリと斬ることは出来た。ただその中で最初に感じたのは、自分が想定していた一刀流剣術の振り方と斬った時の距離感には若干のズレがあったこと。そうした気づきも実際に体験してみればこそだ。その距離感のズレは比較的すぐに調整出来たし、定着させるには少し時間を必要とするだろうが、少なくとも自分が習い教えているものは、すぐに斬るに堪えるものであったという検証を得たことは、やはり今後の指導にも繋がっていくだろう。

ところで、自分にとっての今回のテーマは単に刀でモノを斬ってみるというのではなく、あくまで「普段の動きそのままで斬れるかどうか?」の検証であった。

古流剣術の動きでは、素振りでも常々「空気を斬る」ということが大事なポイントであったし、それが出来た時と出来ない時では明確な違いがあるのでそれなりにいけるのではというか予感も持っていた。

だが、中国武術式の斬り方…というより中国武術式の身体遣いで、重い刀を片手で受けの動作から斬りこむといった一連の繋がるような動作の中で、どの程度しっかりと斬ることが出来るのかというのは、自分の中で是非とも検証しておきたいことでもあった。

その時の様子が以下の動画である。

刃筋を立てるということのイメージが、自分の中で間違っていなかったことは、これで確信を持つことが出来た。

また、この時別に撮ったもう一つの動画は古流剣術のスタイルのものだが、祖父江さんから「実際に相手の攻撃を受けてから斬るというのは格段に難度が上がる」と教えをいただき行った時のものである。

祖父江さんの裂帛の気合いに力を導き出された形で咄嗟に出た技は、受けた後の短い距離での逆袈裟斬りという難しいものであったが、自分でも渾身の一斬を経験する事が出来た。

余談ながら、このときの自分を客観的に見ると、古流剣術の構えを取りながらもかなり形意拳のエッセンスが構えに入り込んでいるのがわかる。
そして行っている技の流れとしては、八卦掌の刀術にある単換刀に近く、短い距離での斬撃は形意拳の発勁に近い。

普段の練習ではむしろ三拳を明確に分けて練習するし、組み合わせる練習などする事もないが、しかし咄嗟の時にはそれぞれの要素が自然と発揮されていたというのは実に面白い経験であったし、この経験はきっと今後大きく生きて来るだろうと思うのである。

こうして成長の機会をいただいた祖父江さんには、深く感謝申し上げます。
 

宇童会〜名称の由来〜

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5月の合宿をもって、弟子に引き継いだ愛知県支部の宇童会だが、第一回目が行われたのは、2009年11月28日だった。
初めは月に一度開催だったものが、月二回に増え、土日を利用することで太極拳クラスだけでなく、八卦掌クラスも出来た。それから7年半の年月が流れ、あわせると地球を三周するよりも長い距離を、自ら運転しながら通い続けてきたのだった。

初めての教室のあとには参加者の皆さんから感想が届き、自分もそれが嬉しくてその感想一人一人に全て返信を書いたのがきっかけで、以来、皆からの感想に一人一人に返信をつけて、それを「宇童会便り」として皆で共有するということもあわせて続けてきた。

月に一・二回の教室では、どうしても説明が行き届かないことがあったりするし、一人一人への指導も薄くなってしまう。宇童会便りはそうしたことの補足にもなったし、また、東京から通うために交通費の分が別にかかってしまうことに何かの形で報いたいという気持ちもあったと思う。

宇童会便りは、一通につき平均三通くらいの感想と返信が乗る。最後の返信を書き終えた時は、宇童会便りも620通にのぼっていた。平均三通としてざっと1800程度の返信を書いたことになる。

初めは簡単なやり取りであった返信も、徐々に内容は長く濃いものに変わっていった。それに全て返信を書くのは確かに大変なことでもあったのだが、それを通して自分もまたどれだけ思考力が養われたか、その経験と副産物的な効用は計り知れない。

しかし、そうした宇童会便りも含めて自分のやるべきことは「やりきった」と思えるからこそ、今こうして安心して二番弟子に後を任せることが出来るし、生徒一人一人を信頼することが出来るからこそ、自分もまた次のステージに挑戦すべきなのだということもわかる。

宇童会を教えながら、自分がどれほど大きなものを学んだか。

振り返れば、「宇童会」の名は亡くなった開門弟子と師父とのメールのやり取りの中で生まれてきたものだった。

抜粋にはなるが、後でいただいたそのやり取りを紹介すると、

◆◆◆◆◆
> それで、今日はすぐに練習場を予約してきたのですが、
> その際にグループ名の登録が必要とのことで
> とっさに「極峰拳尾張の会」と書いてまいりましたが、
> 登録しなおしもできますので、よい名がございましたら
> ご教示くださいませ。

もともと宇野さんと加藤さんのご縁で生まれた会です。
お二人にちなんだ名称が望ましいです。

極峰拳社は私の師父、張榮明老師が名付けてくださったものです。
張榮明老師の師父、すなわち私の師祖父である陳泮嶺老師は
字(あざな)を俊峰といいました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B3%E6%B3%AE%E5%B6%BA

張榮明老師曰く、

>道家縁の聖地、湖北省武当山に秀峰「天柱峰」あり。
>遠く山の頂を望み、その峰の高みを目指すがごとく、
>陳俊峰師祖の到達された境地、武の最高峰を極めんと集いし者よ、
>道は遠く険しくとも、その志しを忘れることなく精進し、
>武功の成るを以って師祖の英霊に報い給え。
>霊峰は厳然とそびえ立ち、諸君を遥かに見守っている。
>ここに志しを同じくする者の学びの場を「極峰」(jifeng)と命名す。

とあり、師祖父の「俊峰」、私の「遠山」、「太極拳」にちなみ、
武術の志をからめて命名されたわけです。

高遠瞳、偶然にも
極峰の名の由来の中にある「最高峰を遠くに望み、極めんとす」が含まれています。
これまた偶然ですが、遠山という姓は加藤から分かれて生まれた姓でもあります。
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/toyama_k.html

ちょっとした連想ですが「瞳」=ひとみ=一三=13=十三は、太極拳の基本構造を表す数字。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E4%B8%89%E5%8B%A2

こうしてみると、加藤ひとみ=高遠瞳 はそもそも極峰拳社に縁のある名前だったと思えます。

一方、宇野の「宇」は「宇宙」の宇。
宇宙という単語は、漢の淮南子という書物に登場し、
「宇」は「天地四方上下」(=上下前後左右の六方向、三次元空間)
「宙」は「往古来今」(=現在過去未来、時間)を表し、
すなわち「宇宙」とは時空=宇宙を表します。
従って宇野には空間の広がりを示す意味があるのです。

加藤さんが記事に書かれた

>太極拳の動きは球体が360度開かれた空間に動いていき、
>らせんがつながっていくような豊かさがあった。

というご感想には、宇野に通じるものがあります。

漢字の瞳の字の童は本来、貫き通した穴を指し、瞳=目に開いた穴を意味します。
その穴を通過する=貫くのは光。
閉じた眼球内の限られた空間に、無限に広がる外界の光が差し込んで像を結びます。
そこで、宇野の宇、瞳の童を用いて「宇童会」といたしましょう。
『瞳の奥に豊かな光を結ぶ人の集まり』になっていただきますように。
宇童=宇野さんの生徒という単純な意味も含みます。
拳社内での正式な名称は「極峰拳社健身班 宇童会」ですが、
みなさんの通称や地元への届出は「太極拳宇童会」「宇童会」で結構です。

> 超初心者の小さなグループが尾張の地に産声をあげます。
> うまく育つかどうか、皆目わかりませんが、
> どうぞお心にかけていただきまして、育っていけますよう
> ご指導、ご配慮のほど、よろしくお願い申し上げます。

もちろん、私も宇野も時々教えにまいりますが、
皆さんが最低週1度は自主的に集まって練習していただければ幸いです。
◆◆◆◆◆
と。

宇童会の名前にはこうした思いが込められている。

今では「内功武術 明鏡拳舎・宇童会」となったが、それが宇童会の歩みでもある。

今の自分があるのは、本当にこうした素晴らしい師父と弟子のお陰なのだと、あらためて感謝の気持ちが湧いてくるのである。

白峰会(相模原支部)・土曜クラス開講のお知らせ

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「内功武術 明鏡拳舎」の相模原支部・白峰会の土曜日クラスが、6月より開講致します。
場所は木曜日クラスと同じく城山公民館で、毎週土曜日の朝9時より行います。
健身クラスは9:00〜10:30。
武術クラスは10:35〜11:45
ですが、ペースは個人に合わせて進めるため、他の曜日をみても各自自由な時間に参加している状態です。(笑)
とにかく場所は不便なところにありますので地元近辺以外の方は難しいかと思いますが、今いる会員さんにとっては、参加の機会が増えることでより学びやすい環境が整ったのではないかと思っています。

「ホームページの公開」と「宇童会引継ぎ」のお知らせ

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先週5月13日・14日は、愛知県支部「宇童会」の合宿でした。そしてこの日をもちまして、7年半に渡って通った愛知県江南市の教室は、弟子のFさんこと藤井記代子さんへと引き継ぐこととなりました。
合宿の様子はまたあらためてお話するとして、「内功武術 明鏡拳舎」も草の根的に広がり始めた事もあって、この度ホームページを公開することと致しました。
それにより、今までのブログもホームページにひとまとめになりましたので、ブログの引越しも兼ねてお知らせ致します。

「内功武術 明鏡拳舎」公式ホームページ:
http://meikyoukensha.com/

※今までのブログはこちらのリンクから読むことが出来ますが、これまで皆様からいただいたコメントにつきましては、残念ながら移動が出来ませんでしたので事後報告になりますが御容赦申しあげます。

今後とも「内功武術 明鏡拳舎」をよろしくお願い致します。

キセキ

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“2017年4月8日の話。

愛知県のクラス「宇童会」で太極拳と八卦掌を教える為に、朝から中央道を走っていると、ラジオから3.11の震災から6年の日にあわせた特別番組の再放送が流れてきた。

ちなみに、宇童会は今年5月、つまり来月行われる合宿をもって二番弟子のFさんに引き継ぐことになっている。7年以上にわたって通った愛知県も、今回を含めて残すところあと3回。そんな事情もあってか、ラジオを聞きながら6年前の東関東大震災の日の事をしみじみと思い出していた。

あの日は「宇童会」の前日にあたっており、地震が起こった時は代官山にある映像関係の職場で会議中であった。状況が状況だったので会社は17時前に解散となったが、電車の復旧もめどが立っていなかったので、すぐさま代官山から町田の家まで歩いて帰ることにした。家に到着したのは23時30分過ぎ。家の無事を確認すると、翌朝早くに通行止の東名高速を避け、この中央高速で愛知県へと向かったものだった。翌々日には東名高速で帰って来ることが出来たが、後にも先にもあんなにガラガラの東名高速は見たことがなかった。

そんな想いにふけっていると、ラジオからは津波で被害にあった岩手県大船渡市出身という女性歌手の歌が流れてきた。その澄んだ綺麗な歌声と、「キセキ」というまっすぐで素朴な曲調にフッと心惹かれて思わず聴き入ってしまう。余韻に浸りながら、ふと、我に返って目の前にあるインフォメーションを見ると何やらいつもなら見るはずのない地名が。「やってしまった!」
そう、歌や番組の内容に、聴き入っている間に、うっかり小牧インターで降り損なってしまったのだ。

仕方なく次の一宮で降りる事にしたが、一宮は以前、仕事で長期出張で来ていた西春の近くだった。その長期出張がきっかけで、この宇童会も生まれたのだ。インフォメーションには西春の文字も見えて懐かしさが込み上げてくることもあり「まあ、いいか」と気を取り直すのだが、ここでまさかの二度目のミス!なんとカーナビを見るタイミングが変なタイミングでズレてしまい、遠回りの道に入ってしまったのであ
る。

「なんてこった」と思いながら、カーナビを見直す。目的地は宿泊先の「すいとぴあ江南」であったが、通るルートを見てその時、ハッと気づいた。このルートは、亡くなった一番弟子の加藤ひとみさんと初めて出会った公園の近くを通るルートだ!

込み上げてくる想いを噛み締めながら道を走らせていくと、次には弟子が入院していた江南厚生病院の脇を通り過ぎる。その病室の窓からは宿泊先の「すいとぴあ江南」も見えた。すいとぴあ江南は宇童会の合宿も行なっている場所で、合宿に参加するのを楽しみにしていた弟子だったが、亡くなったのはちょうど合宿前日だった。その数日前には「すいとぴあ江南が朝日に光っています」とだけ書かれたメールが届いていた。それが弟子から届いた最期のメールだった。いったいどんな思いで病室からすいとぴあ江南を眺めていた事だろう。

ようやくすいとぴあ江南に到着した時には、車で所縁ある地を辿りながら、まるで弟子との出会いから宇童会の今までを振り返ってきた気分だった。

途中、このきっかけを作ってくれた歌が気になって調べてみたら、歌の内容からてっきり「奇跡」というタイトルだと思っていたのだが、実際には片仮名で「キセキ」だった。キセキは自分にとってはまさに「軌跡」だ。そう、今まで一番弟子の加藤ひとみさんと共に作り上げてきた宇童会を全て二番弟子のFさんに引き継ぐに当たって、こうした形で宇童会の「軌跡」を一緒に振り返りながら言葉にならない気持ちを伝えようとしてくれた、そんな風に思えてならなかった。

そして…

「キセキ」の歌を購入して改めてよく聴いてみれば、一番最初の出だしの歌詞は「ひとみが見えること」だった。一番弟子の名前「ひとみ」さんの名が、そこにあった。

you tube:濱守栄子「キセキ」 ”

学生と拝師弟子の報告 ~一年の歩みに変えて~

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このブログを立ち上げる前から恒例の、今年一年の振り返りです。
2015年は、5月8日に開門弟子である加藤ひとみさんが永眠され、内功武術 明鏡拳舎にとって、大きな大きな悲しみに襲われた年でありました。
明鏡拳舎の学生や拝師弟子はただ一人、学生K.Fさんだけとなりましたが、生徒の皆さんも様々な形で会に協力してくださり、学生のK.Fさんも本当に一生懸命になって、会を支えてくれました。
そして年の暮を迎えてみれば、生徒の皆さんの一段と成長した姿を喜ぶとともに、新たな学生と拝師弟子を迎え入れることが出来ましたことを、ここにご報告させていただきます。
まずは、師父の主催している極峰拳社から正式に明鏡拳舎に移籍した私の実の妹が、2015年12月16日をもちまして、加藤ひとみさん、K.Fさんに次いで、新たに3人目の学生として加わりました。
妹は、今年11月3日に開催された廣瀬義龍先生の主催する散打大会においては、女子の散打部門で3位の成績を収めております。
もっとも、師父の極峰拳社に在籍中には、準優勝した事もありますので、移籍して結果を出すということにおいては、まだまだこれからといったところでしょう。来年はしっかりと身を結ぶことを期待したいところです。
そしてもう一人。年末も押し迫ったつい先日の12月29日をもちまして、学生のK.Fさんを二人目の拝師弟子として、内功武術 明鏡拳舎に迎え入れることとしました。
K.Fさんは、一般生徒として4年2か月。学生として1年と1ヶ月少し。合わせて5年3ヶ月という月日を学んできました。それを長いと見るか、それとも短いと見るかは人それぞれあるかと思いますが、どちらにしても修行はずっと続いていきます。
学生や拝師弟子については、我が門においては「この武術で必要なものは、真摯な気持ちだけ」という言葉があるように、決して技術的な才能や格闘技的な強さという事だけで選ぶものではなく、人間性を見て伝えるべき人に伝えていくというスタンスですし、自分はそれを愚直に信じて貫いていこうと思っています。
パラドックス的ではあるのですが、そうでなければ繊細なこの内功武術の技術は伝わっていかないでしょうし、その真の価値を見出すことも難しいでしょう。結局は門を、そしてこの技術体系を、どれだけ大切にするかという姿勢こそが確かなものを形作ってくれるわけで、そういう意味では、結果的に明鏡拳舎の学生や拝師弟子がここまで3人共が女性であるということも、何か象徴的にも感じます。
このブログを書いている現在、今年ももう僅かとなりましたが、今年一年の様々な出来事を通して、自分自身、たくさんの大切なことを学んだように思います。
開門弟子の生きる姿とその死から学んだ事。学生試験や拝師弟子を受け入れる事を通して自分自身を見つめ直す事。そして、尊敬する師祖父から弟子の死を通して初めて御言葉をいただいたことは、自分の人生観を大きく変えたようにも感じています。
この学び多き一年に、心からの感謝を込めて。