「ホームページの公開」と「宇童会引継ぎ」のお知らせ

標準

先週5月13日・14日は、愛知県支部「宇童会」の合宿でした。そしてこの日をもちまして、7年半に渡って通った愛知県江南市の教室は、弟子のFさんこと藤井記代子さんへと引き継ぐこととなりました。
合宿の様子はまたあらためてお話するとして、「内功武術 明鏡拳舎」も草の根的に広がり始めた事もあって、この度ホームページを公開することと致しました。
それにより、今までのブログもホームページにひとまとめになりましたので、ブログの引越しも兼ねてお知らせ致します。

「内功武術 明鏡拳舎」公式ホームページ:
http://meikyoukensha.com/

※今までのブログはこちらのリンクから読むことが出来ますが、これまで皆様からいただいたコメントにつきましては、残念ながら移動が出来ませんでしたので事後報告になりますが御容赦申しあげます。

今後とも「内功武術 明鏡拳舎」をよろしくお願い致します。

キセキ

標準

“2017年4月8日の話。

愛知県のクラス「宇童会」で太極拳と八卦掌を教える為に、朝から中央道を走っていると、ラジオから3.11の震災から6年の日にあわせた特別番組の再放送が流れてきた。

ちなみに、宇童会は今年5月、つまり来月行われる合宿をもって二番弟子のFさんに引き継ぐことになっている。7年以上にわたって通った愛知県も、今回を含めて残すところあと3回。そんな事情もあってか、ラジオを聞きながら6年前の東関東大震災の日の事をしみじみと思い出していた。

あの日は「宇童会」の前日にあたっており、地震が起こった時は代官山にある映像関係の職場で会議中であった。状況が状況だったので会社は17時前に解散となったが、電車の復旧もめどが立っていなかったので、すぐさま代官山から町田の家まで歩いて帰ることにした。家に到着したのは23時30分過ぎ。家の無事を確認すると、翌朝早くに通行止の東名高速を避け、この中央高速で愛知県へと向かったものだった。翌々日には東名高速で帰って来ることが出来たが、後にも先にもあんなにガラガラの東名高速は見たことがなかった。

そんな想いにふけっていると、ラジオからは津波で被害にあった岩手県大船渡市出身という女性歌手の歌が流れてきた。その澄んだ綺麗な歌声と、「キセキ」というまっすぐで素朴な曲調にフッと心惹かれて思わず聴き入ってしまう。余韻に浸りながら、ふと、我に返って目の前にあるインフォメーションを見ると何やらいつもなら見るはずのない地名が。「やってしまった!」
そう、歌や番組の内容に、聴き入っている間に、うっかり小牧インターで降り損なってしまったのだ。

仕方なく次の一宮で降りる事にしたが、一宮は以前、仕事で長期出張で来ていた西春の近くだった。その長期出張がきっかけで、この宇童会も生まれたのだ。インフォメーションには西春の文字も見えて懐かしさが込み上げてくることもあり「まあ、いいか」と気を取り直すのだが、ここでまさかの二度目のミス!なんとカーナビを見るタイミングが変なタイミングでズレてしまい、遠回りの道に入ってしまったのであ
る。

「なんてこった」と思いながら、カーナビを見直す。目的地は宿泊先の「すいとぴあ江南」であったが、通るルートを見てその時、ハッと気づいた。このルートは、亡くなった一番弟子の加藤ひとみさんと初めて出会った公園の近くを通るルートだ!

込み上げてくる想いを噛み締めながら道を走らせていくと、次には弟子が入院していた江南厚生病院の脇を通り過ぎる。その病室の窓からは宿泊先の「すいとぴあ江南」も見えた。すいとぴあ江南は宇童会の合宿も行なっている場所で、合宿に参加するのを楽しみにしていた弟子だったが、亡くなったのはちょうど合宿前日だった。その数日前には「すいとぴあ江南が朝日に光っています」とだけ書かれたメールが届いていた。それが弟子から届いた最期のメールだった。いったいどんな思いで病室からすいとぴあ江南を眺めていた事だろう。

ようやくすいとぴあ江南に到着した時には、車で所縁ある地を辿りながら、まるで弟子との出会いから宇童会の今までを振り返ってきた気分だった。

途中、このきっかけを作ってくれた歌が気になって調べてみたら、歌の内容からてっきり「奇跡」というタイトルだと思っていたのだが、実際には片仮名で「キセキ」だった。キセキは自分にとってはまさに「軌跡」だ。そう、今まで一番弟子の加藤ひとみさんと共に作り上げてきた宇童会を全て二番弟子のFさんに引き継ぐに当たって、こうした形で宇童会の「軌跡」を一緒に振り返りながら言葉にならない気持ちを伝えようとしてくれた、そんな風に思えてならなかった。

そして…

「キセキ」の歌を購入して改めてよく聴いてみれば、一番最初の出だしの歌詞は「ひとみが見えること」だった。一番弟子の名前「ひとみ」さんの名が、そこにあった。

you tube:濱守栄子「キセキ」 ”

学生と拝師弟子の報告 ~一年の歩みに変えて~

標準

このブログを立ち上げる前から恒例の、今年一年の振り返りです。
2015年は、5月8日に開門弟子である加藤ひとみさんが永眠され、内功武術 明鏡拳舎にとって、大きな大きな悲しみに襲われた年でありました。
明鏡拳舎の学生や拝師弟子はただ一人、学生K.Fさんだけとなりましたが、生徒の皆さんも様々な形で会に協力してくださり、学生のK.Fさんも本当に一生懸命になって、会を支えてくれました。
そして年の暮を迎えてみれば、生徒の皆さんの一段と成長した姿を喜ぶとともに、新たな学生と拝師弟子を迎え入れることが出来ましたことを、ここにご報告させていただきます。
まずは、師父の主催している極峰拳社から正式に明鏡拳舎に移籍した私の実の妹が、2015年12月16日をもちまして、加藤ひとみさん、K.Fさんに次いで、新たに3人目の学生として加わりました。
妹は、今年11月3日に開催された廣瀬義龍先生の主催する散打大会においては、女子の散打部門で3位の成績を収めております。
もっとも、師父の極峰拳社に在籍中には、準優勝した事もありますので、移籍して結果を出すということにおいては、まだまだこれからといったところでしょう。来年はしっかりと身を結ぶことを期待したいところです。
そしてもう一人。年末も押し迫ったつい先日の12月29日をもちまして、学生のK.Fさんを二人目の拝師弟子として、内功武術 明鏡拳舎に迎え入れることとしました。
K.Fさんは、一般生徒として4年2か月。学生として1年と1ヶ月少し。合わせて5年3ヶ月という月日を学んできました。それを長いと見るか、それとも短いと見るかは人それぞれあるかと思いますが、どちらにしても修行はずっと続いていきます。
学生や拝師弟子については、我が門においては「この武術で必要なものは、真摯な気持ちだけ」という言葉があるように、決して技術的な才能や格闘技的な強さという事だけで選ぶものではなく、人間性を見て伝えるべき人に伝えていくというスタンスですし、自分はそれを愚直に信じて貫いていこうと思っています。
パラドックス的ではあるのですが、そうでなければ繊細なこの内功武術の技術は伝わっていかないでしょうし、その真の価値を見出すことも難しいでしょう。結局は門を、そしてこの技術体系を、どれだけ大切にするかという姿勢こそが確かなものを形作ってくれるわけで、そういう意味では、結果的に明鏡拳舎の学生や拝師弟子がここまで3人共が女性であるということも、何か象徴的にも感じます。
このブログを書いている現在、今年ももう僅かとなりましたが、今年一年の様々な出来事を通して、自分自身、たくさんの大切なことを学んだように思います。
開門弟子の生きる姿とその死から学んだ事。学生試験や拝師弟子を受け入れる事を通して自分自身を見つめ直す事。そして、尊敬する師祖父から弟子の死を通して初めて御言葉をいただいたことは、自分の人生観を大きく変えたようにも感じています。
この学び多き一年に、心からの感謝を込めて。

二つの太極拳

標準

最近、もう一つの太極拳にはまっている。
一つはもちろん我々の双辺太極拳だ。
陳式、楊式、呉式を研究された陳pan嶺先生が、形意拳・八卦掌の要素を加味して創始し、張榮明師祖父がそれぞれの要素をより際立たせた形で新たに編纂した、自分が本当に素晴らしいと惚れ込んだ太極拳である。
ではもう一つの太極拳とは、なにか。
もしかしたら他派のものか?というと、そうではない。
最近、ハマっている太極拳。それは、あえて「八卦掌と形意拳の要素を抜いた双辺太極拳」なのである。
このブログを始めたときは、確かに形意拳と八卦掌については、より純度を追求していくというスタンスであったが(注:それは三拳融合を試みられた中で絶対的に混じり合わないものがあり、その混じり合わない要素をその拳法のオリジナリティと捉え、それらによって構成されていると言う意味で)、太極拳だけは三拳が含まれていることこそ双辺太極拳の特徴であると思っていたし、そこに独自性や誇りと感じていればこそ、形意・八卦の要素を抜くと言う発想は全くなかったといってよい。
ところが、
「八卦掌と形意拳の要素を抜いた双辺太極拳」
という発想が、ふとしたきっかけで生まれた。
それは、軽い気持ちと思いつきで始めた作業ではあったが、実際にやり始めてみるとその面白さにどんどんはまっていくのを感じた。そして不思議なことに、シンプルな太極拳にしていけばいくほど、かえって三拳の繋がりが感じられるのだ。
違っているのに、かえって繋がる。
これは意外な効果でもあったし、予想外の展開でもあった。
また、いつもの双辺太極拳とは違った効果もあるのも、いろんな人の感想からわかってきた。
我々の双辺太極拳は、段階が進めば進むほど八卦掌の要素が強くなっていくが、それをあえて「抜く」という方向に働かせるのはまさに逆転の発想であろう。
しかし、こうしたフレキシビリティを持つというのも、我々の三拳弊習のスタイルとも言えるのかも知れない。
ちなみに、三拳融合をはかった我々の双辺太極拳から形意拳と八卦掌の要素を抜けば、純粋な太極拳が現れるのかと言うと、そういうわけでもない。
確かに技の中には一部、先祖がえりのように、陳式や楊式に出てくる形に似たものに変わってしまうものもあるが、やはり全体としては、いずれの太極拳とも違う「我々独自の雰囲気と理合いを持った太極拳」と言えるだろう。
それら技の変化の過程を味わうことが出来たのは良い経験と気づきであったし、何より、我々の太極拳の解釈とはこうなのだということが、より明確になってきた。
明鏡拳舎では、普段の双辺太極拳と区別するために、太極拳的なエッセンスを学ぶ為の套路と言う意味で「精花太極拳」と呼んでいるが、その精花太極拳は素直で非常にシンプルでありながら、生徒たちからの評判も良い。
というより、冒頭で書いているようにまず自分自身がはまっている。(笑)
素直でシンプルな精花太極拳。
これを亡くなった弟子に見せたなら、きっと「うわーっ」と目を輝かせて喜んだに違いない。常に「痛み」に苛まされ、歩くことすら難しい状態だったであろうに、この武術で培った繊細な重心移動や立ち方で、「歩く」ということを「再現」していた弟子。
この精花太極拳がもっと早く生まれていたらと、ふと考えをめぐらせてしまう。
「成長 ~ 日記より(1)~」に書いた、弟子の太極拳のこと。
「日曜日の午後、お見舞い&個人レッスンでH.Kさんの病室に伺った時、外の光が射す白い壁の部屋の中で、H.Kさんの太極拳を見せていただきました。一切の無駄のとれた、素直で、美しい太極拳でした。点滴のチューブを付けながら、手術したばかりの身体で、自分の身体を感じながら丁寧に丁寧にこの太極拳を打っているH.Kさんの姿が目に浮かぶようでした。それは、第二の站椿を形をとりながら、小さな歩幅で行う、動きの少ない太極拳でしたが、真面目に地味な站椿をする事からはじまり、僕が教えた通り真摯に意識して感じながら行っている姿が、H.Kさんが積み重ねてきたもの全てが、そこに見えた気がしました。套路は嘘をつきません。僕は、こんなに尊い太極拳を見たことはありませんでした。」
その弟子の太極拳に応えるような太極拳が、今になって自分の中に出来上がった、そんな気がしてならない。
そう。弟子や学生も含めて、生徒たちがいなければ生まれてこなかった太極拳だ。
例え周りにとっては価値は感じられなくとも、我々はその効果を知り、様々な意味を持ちながら大切に思う。
一人一太極拳。
そんな太極拳があっても良いだろう。

ポジショニングと内功武術

標準

ポジショニングはポジショニングでも、今回は介護の「ポジショニング」に絡めた話である。

介護と武術というと、巷では古武術の技術や身体操作を介護現場に活かすということが何年も前から時折話題にあがっているので、今更と思われるかもしれないが、今回の話は介護の技術を武術にという話だ。
以下は、ふとした思い付きから最近、教室で初めてポジショニングの視点から教えた時の生徒の感想である。

◆「今回の先生の、介護でのポジショニングのお話しを含んだご説明で、自分はなぜあんなに新鮮にかんじたのかな?と考えておりました。僕の中で変わったのは、練習の時等、その時点での自分にとっての答えが、自分の中にあるという感覚が増えた気がします。太極拳もゆっくりと練習してみましたが、ゆっくり行う目的を、以前より感覚的にも持てて嬉しく思いました。」

読んだだけでは何となく流れてしまうかもしれないが、この感想は、クラシック音楽のプロのギタリストであるYさんが書いてくれたものだ。

非常に繊細な身体感覚を持つ彼の言葉は、まさに自分が教えながら感じた感想そのもので、ある意味、初学者が掴みにくい内功的な部分が、ポジショニングのアプローチを使うと、彼の感想のようにとてもシンプルに捉えることが出来るのだ。

同じ意味の事は普段の練習でも教えているし、推手含め、具体的な練習方法もある。だが、それでもなお新鮮さを感じ、効果があったということは、そこに新たなヒントがあるということだ。

そもそもそのポジショニングとは何か?という話については、このブログを書くにあたって「わくわく直観堂」さんのホームページを参考にさせていただいた。

http://www.waku2chokkan.com/hpgen/HPB/entries/101.html

そこに書いてある部分を抜き出してみると、

ポジショニングは、「目的を達成するために身体各部の並びを整えてふさわしく、好ましい姿勢、体位を実現する。その姿勢・体位は安全で快適であること。」を意図したものであるということ。

またポジショニングの肝は、安定して体位を保持する、筋緊張を緩和する、体圧を分散する、動き出しの起点をつくる、という事にあるということ。

こうしてみると全体的な雰囲気として近いものを感じるかと思うが、このポジショニングの技術は、内功武術における「まず自分の身体を感じる」ということについて、新たな視点からのアプローチになりえると思うのだ。

普段よく思うことは、初心者に「まず感じる」と言っても、「何を」感じれば良いのか?それが難しい。感じるということは実感してわかってしまえばシンプルな話なのだが、わからないうちはその要求は非常に曖昧で抽象的なものだ。

ところが、ポジショニングの技術は、その導入の難しさを容易にしてくれるのである。

もちろん、それが初心者に限らず、我々にとっても意外な効果をもたらすことは、Yさんの感想でも明らかだ。

では、その「感じるものとは何か?」。

一言で言えば「力」だ。

「心、意、氣、力」の「力」。

そしてそれは、「大きな力」ではなく、「小さな力」。

介護の技術を武術にと言えば、「心、意、氣、力」の四つの視点からすると「心」がテーマになるのが相応しい気がするのだが、今回のこの話は、それが対極にある「力」からのアプローチの話になるのが面白いところだ。

だがそれも、相手の状態を理解する、相手の気持ちになろうとして生まれてきた技術と考えれば、それが「感じる」為の具体的な技術というのもしっくりくる。

重度の身体障がいを持った方というのは、コミュニケーションをとるのが難しい場合も多く、介助者が状態から想像するしかない。そして状態をより正しく把握する為に考案されたのがポジショニングの考え方とも言えるであろう。

ポジショニングとは、確かに簡単に言ってしまえば「楽な体勢を確保するための技術」であるが、その状態を確保する為の過程には、上述の知識のもとに相手の様々な「力」を感じながら、状態を探っていくことが不可欠だ。

「力」によるアプローチから相手の状態を理解することによって、介助者の思い込みによらずに、より適切な体勢を確保することが出来るのである。

我が門には「極端にしてみることで、気づきがある」という教えがあるが、内功武術の目で見ればなんのことはない、自分がポジショニングを行っている現場とは、身体や力を感じるということにおいて、あくまで同一線上にある一つの極まった状況と捉えることが出来るであろう。

自分の場合、少林寺拳法や大東流においても、整体の基本的な考え方を教わった事で技が大きく変わった経験をもっているが、結局は、治す事も壊す事も表裏一体というように、これもまた陰陽だということだ。

内功武術はつくづく繊細で緻密なものだと思う。

繊細で緻密というと、こと武術においてはこれらの言葉を聞いた場合、大抵の人が思い浮かべるのはどちらかというと「繊細で緻密だが、脆い」というようなネガティブなイメージではなかろうか。

というのも、繊細で緻密なのは「巧さ」の表現であって、「強さ」とは結びつきにくいからだろう。

だが「繊細で緻密だからこそ、構造的にしっかりして無駄がなく効率的」なのが内功武術である。

それは強固な建造物が、資材の一つ一つを吟味し、緻密に計算された上で、繊細な作業によって造られているようなものだ。

このブログでは、内功武術のブログにもかかわらず呼吸法や氣や経絡などと言った、いかにも中国武術的な話はほとんど出てこない。

だが、それだけでない内功武術がある。

理にかなった動作や武術というものは、それだけでたくさんの語るべきものをもっているはずである。

「心、意、氣」のみならず、「力」についてこんな風に語れることこそ、内功武術ならではの味わいではなかろうか。

「回想」~オンブラ・マイ・フより~

標準

夜、目が覚めて、ふと回想する。

今日で弟子が亡くなってから5ヶ月だ。葉桜の頃から、季節はようやくこれから紅葉を迎えようとしている。そんなまだ半年も経っていないのに、遠い昔のようにも感じるし、ついこの間の事のようにも感じる。

亡くなってしばらくは、常に練習場所には花が飾ってあった。ポカンと空いたその場所に、そこに弟子がいるかのように。写真は、その時のものだ。

弟子が亡くなった日は、ちょうど宇童会の合宿の日でもあった。

自分の生徒さんの中にクラシックギターのプロのギタリストさんがいるのだが、皆で弟子を偲びながら、生前、弟子とメールである曲についてやり取りをしたと教えてくれた。

そして、十弦ギターの優しく暖かい音色で弾いてくれたのが、この曲だった。

弟子のメールには、こんなことが書かれてあった。

「ヘンデルのあの曲はオンブラ・マイ・フ、または、ラルゴ、でしたね。(^_^;)

歌詞はこんなふうですって。

こんな木陰は
今まで決してなかった
緑の木陰
親しく、
そして愛らしい、
よりやさしい木陰は

中央公園の練習場所のテーマ曲?!みたい(笑)。」

中央公園とは、もちろん写真の場所であり、「葉桜 ~最初の弟子のこと~」に書いた、弟子が守ってくれた練習場所のことでもある。

弟子が、普段からいかにその場所を、皆が集まって練習するその空間を大切に思っていたかが、その文章から伝わってくるようだ。

花を乗せた置き石は、自分達が土の山だと思っていたものの中に埋もれていたもので、有志で綺麗に掃除をした時に出てきたものだった。

それで、そこが元は紡績会社の庭で、岩の配置も計算された美しい庭園だった事がわかったのである。岩には「太郎 吉日」の文字が彫られていた。

そうした人の心を汲む事が出来る弟子であった。だからこそ、特にこの場所を好きだと感じていたのかもしれない。

合宿にしてもそうだった。まるで、皆が集まりやすいように、師である自分に何度も愛知まで足を運ばせて迷惑をかけないようにと、ひっそりとその日まで頑張って生き抜くことを目標にしていたような気がしてならないのだ。

その証に、葬儀は合宿に全く影響することなくスムーズに行われ、むしろ合宿には本当に多くの生徒が集まってくれた。そして、合宿には急遽師父まで参加なさってくれ、初めて皆に師父を紹介し、師父の演武まで直接見せる事が出来た。

偶然と言えば、たんなる偶然の結果とも言える。

だが、自分がそこに弟子の密やかな戦いの姿をみるのは、なにより、結果のあちらこちらにいかにも弟子らしい気持ちが、心が感じられるからだ。

そこに偶然はない。

弟子が大切にし、守ったものを、自分もまた大切に守り伝えねばならない。

弟子に感謝を込めて。

「陰陽」 ~共通性と違いという視点から~

標準

我が門では太極拳、八卦掌、形意拳の三拳を弊習する学習システムであるがに故に、様々な形での陰陽の関係に気づくことが出来たことはこれまでにも触れてきたが、最近、それは三拳に留まらず、自分がこれまでに学んできた日本の武術と中国の武術ということにおいても大きな意味でやはり陰陽の関係に捉えることが出来る事を、おぼろげながらもあちらこちらに感じられるようになってきた。
また、見識を広める過程で様々に触れさせていただいた武術においても、同様に、様々な陰陽の関係を見る思いがするのである。

それは共通性という話でもなければ、単なる違いといった話でもない。まさに陰陽と言うべき関係性なのだが、それを見出すことでより理解が深まるように思うのだ。というより、そもそもがそうした発想によって深めていこうというのが、我々の練っているものなのかもしれない。

なによりまず、自分が様々な武術を通じてもっとも関心があるのは「共通性」よりも「違い」、つまりそれぞれの武術の特徴である。もちろん、ただ小手先の技術の違い等の話なら幾つ挙げても意味がない。どのような特徴でどのように技術が体系付けられているのか。それこそが自分の言う「違い」の部分だ。逆に言えば、その体系を一旦理解したならば、小手先の違いと思えた技術もまた必然的な理由として見えてくる。

例えば、同じ形意拳でも、ある先生のところで交流させていただいたときには、根本に置く原理原則の違いから、全く別の技術体系になっていることを再認識した。その原理原則の違いとは正しいとか間違っているとかではなく、どちらを選択するかというまさに枝分かれ的な内容のものである。事実、自分の門派とは違ったやり方で、それを活かすための素晴らしい技術や、様々な工夫が散りばめられた体系が構築されているのをみると、一度、自分の原理原則をそちらに切り替えて、ドミノ倒しの如く全てをひっくり返してみたい衝動に駆られてしまいさえする。ましてやその先生が、現代における達人先生の一人と、誰もが認める存在とあってはなおさらだ。

そうした確かな技術体系と功夫の前に自分自身が晒された時、どちらが正しい形意拳とかそういった視点はもはや無意味であり、その違いの中に何を、如何に、学ぶかだ。むしろ虚実分明と言おうか、違いや特徴が明確になることは、即ち、学びや気づきでもあり、それが単なる違いから陰陽の関係に落とし込めた時、より納得した上で繋がりを感じることができるように思うのだ。

そこに至るためには、自分の形意拳を突き詰めていればこそであるし、それが出来たのならば、自分の中でそれを併せ持った姿が、つまり、何をもって形意拳かというビジョンもまた、自然と自分の中で鮮明になっていく。

もう一つ例を挙げると、最近でもあったことだが、日本の雑誌等においては、八卦掌は大東流や合氣系の武術と似てる似た感じの武術と紹介されることが多いように思うのだが、自分は全くそうは思わない。

もっとも八卦掌自体が、開祖である董海川の弟子からして異なる風格や内容の八卦掌にそれぞれ分かれているくらいなので、他門派においてはそのように感じるものであったとしても不思議ではないことも理解している。特に程廷華はシュワイジャオを修めていたこともあり、そうした成り立ちからしても柔術系や合氣系の武道と結びつきやすいだろうし、また、実際にそのように技術体系を構築しているところもあるのではないかと思われる。それは、先に述べたように尹福が羅漢拳を、程廷華がシュワイジャオをベースに、それぞれの八卦掌を構築して行ったことを考えると、少しもおかしなことではない。

一方で、自身の八卦掌はそういった様々な八卦掌ともまた違った追求の仕方をしていることは自覚しているので、余計に全くの別物に思えるのだろう。

しかし、自分にとっては、大東流や合氣系の武術と似てると感じない八卦掌だから良いのだ。

少なくとも自分の中で八卦掌という武術についてハッキリとその像を描くことが出来るし、迷いなく追求することも出来る。

違うからこそ追求し甲斐があるし、そこに陰陽を感じ取れればこそ、繋がりもまた感じる事が出来るのだ。

包拳礼

標準

前回の更新から随分経ってしまった。
最低でも月一の更新をと思っていたので、初めて先月は何も書かないでしまったことになる。
正直、弟子の死を引きずってしまっていることもあり、再開に当たって最初のテーマを何にするか悩んだのだが、幾つか考えたうち、もっともこれだと思えたものが「包拳礼」についてのエピソードだった。

日本の武道では「礼に始まり、礼に終わる」という言葉があるが、こういった心境の時に、あえて礼の話から始めるのも良いだろう。ということで今回のテーマは「包拳礼」である。

我が門の教室では、礼はこの包拳礼で行う。

包拳礼の形式や細かい説明は省くとして、この礼の最も特徴的なところは、日本式の礼のように頭を下げたりはせず、むしろ相手をしっかりと見て「眼に自分の気持ちや意志を込める」と言うことにあるだろう。

例えば先生に「感謝の気持ち」を。例えば仲間に「共に良い学びをしよう」という誓いを。
これから練習が始まる時に、相手と組んで行う時に、練習の終わりに、様々な状況において、その時々でもっともふさわしい言葉や気持ち、全てを眼に込めて相手に伝えるのである。それが我々の包拳礼だ。

日本人ならつい、頭を下げて礼をしたくなる気持ちはわかるし、教室ではそれを敢えて注意はせず容認しているが、少なくとも包拳礼の考え方や頭を下げないことの意味が深く浸透しているのが、生徒たちの姿からもわかる。

ところで、なぜこの包拳礼がテーマなのかと言うと、引きずってると言いながらも再度、弟子との最後の別れの話になる。

弟子は最期の最後まで痛み止めを使わなかった。大腸がんの末期は「死んだほうがましだ」とある俳優が言い残すくらいに、ひどい痛みに苦しめられるそうだ。だが、痛み止めにはモルヒネが含まれていて意識が混濁してしまうということで、最期まで家族を、そして自分を含めて大事な人を認識するために、痛み止めを使うことを拒み、激痛と共に生き続けた。それが弟子の戦いだった。

それだけではない。色々と気配りができて、絶対に弱音ははかないような弟子だったからこそ、後から考えればあれもこれも色んなところで戦っていたのだということが、亡くなった後でわかった。もちろん真相は本人にしかわからないこともあるが、残された状況がそれを物語っていた。

弟子が亡くなる前々日。一緒に自分に学んでいる弟子の娘さんからメールが届いた。

夜の1:03分だった。

そんな時間に届いたメールというのは、いつどうなってもおかしくない危険な状態なので、最期に母に会って欲しいという内容だった。娘さんも連日、ほとんど眠れていないに違いない。

直ぐに「行きます」という返信を送ると、僅かな睡眠をとって弟子の入院している病院へと向かった。

…最後に会ったときの弟子の姿というのは、口は半開きで、片目はほとんど閉じた状態であった。
身体も身じろぎ一つせず、ただ、開いたほうの左目だけが一生懸命に何かを語りかけていた。
と同時に、声にならない声を一生懸命に出そうとしていたのがわかった。

「ああ、弟子は自分に何かを語りかけようとしているのだ」

…だが、その言葉は少しも理解できなかったし、何を言おうとしているか推測すればするほど色んなことが浮かびはするのだが、しかし、どれも何か違う気がした。

なにより目の前に横たわっている弟子が…、あの才気に溢れ、誰からも頼りにされていた弟子が、そんな姿に成り果ててしまったことの悲しみに打ちひしがれてしまっていたのだ。

そして弟子が訴えていたことがわからないまま、だが、意識ははっきりしているのだという事だけは確認したうえで病室を後にした。

その2日後、奇しくも弟子が息を引き取ったその日の朝に、窓から射す朝日を浴びた瞬間にその答えが見つかったのだが、その内容やそのことに関する一連の話はここでは留めておく。

ただ、先日。学生のK.Fさんとのメールのやり取りの中で、こんな質問があった。

「最後に会ったとき、ひとみさんは私に何を目で訴えたのだろう。何を話してくれたのだろう。わかる気は、するのですが、、その瞳が焼き付いております。先生は、どう思われますか?」

ああ、やはり弟子は最後に会った一人一人に語りかけていたのだと思いながら、こう返事を書いた。

「…僕から言えることは、「何を」という言葉を考えるのではなく、ひとみさんの「心」を受けとめる事です。我々には包拳礼に「眼神」という「目に気持ちを込める」という教えがあります。…」

その言葉を書いたとき、ようやく答えの最後まで辿り着くことが出来た気がした。

弟子が最期に自分に向けた視線、それは包拳礼だったのだ。

そうだ。

あの愚直なまでに真摯な弟子ならば、きっと包拳礼に全ての気持ちを込めたであろう…。
眼に、全ての気持ちを。

まさに武術家として立派な最期だったのだ。

逆に言えば、自分はまだまだ師として、武術家として未熟だということだ。
武術家として弟子の最期の包拳礼を受けとめる事が出来なかったことは、生涯の戒めとなるだろう。

そして、包拳礼に気づけなかったことで、答えを出すまでに随分遠回りをしてしまった。
もちろん、その遠回りのおかげで自分にとって大切な出来事もあった訳なので、その事にも重要な意味があったようには感じているのだが。

そうした事も含めて今にして思うのは、「心、意、氣、力」で言えば、朝日を浴びながら浮かんだ答えはあくまで「意」の段階における答えだったのだ。そして「心」の段階の答えは「包拳礼」。そう考えればあのときの弟子の姿が、「心、意、氣、力」を全てを貫き、一つとなる。

そんな素晴らしい弟子に、このブログをもって、あらためて包拳礼を捧げる。

「葉桜 」 ~最初の弟子のこと~

標準

話は、前回のブログ「嬉しい日」に書かれた前日に遡る。

土曜日。宇童会の始まる時間の前には、いつも弟子と一緒に、喫茶店でその日の参加者の確認や、軽いミーティングを行うのだが、その日はいつもと違っていた。

弟子が病院から退院したその足で来てくれたのであった。

一度は消えた肺の癌だったが、今では全身が癌に侵された状態であった。喫茶店に現れた弟子は、ようやく身体を保っている状態で、本人の気力と、太極拳で培った丁寧な体重移動で、ゆっくりと、一歩一歩を踏みしめるように歩いてきた。ほんの数歩の距離を、ギリギリの集中力で支えていたのだ。

本人は今回の教室もせめて短時間の見学だけでもと思って来たわけだったが、すぐにそれすら無理だという事がわかった。どの体勢でいてもすぐに痛みが強くなる。とても短時間すら持ち堪えられそうになかった。

そんな様子を見ながら、店内の空気が少し冷たかったので、車の中は暖かいだろうと場所を移し、話をしがてら宇童会が始まるまでの短時間、プチドライブをしようという事になった。

ドライブと言っても、行き先はいつも朝の自主練習会を行っている公園を見に行こうと思ったのだ。

その自主練習会のスペースには以前、ある日突然、枯葉やゴミの山が置かれるようになってしまった事があった。それを弟子が市に必死でかけあいながら、何人かの有志でそこを掃除して綺麗にし、職員に確認してもらうなどの努力をして守ってきた大切な練習場だったのだ。

だが、駐車場には着いたものの車から下りて歩く体力もなく、車の窓を開けて、そこから吹き込んでくる風を感じながら、練習場のある方を眺めた。

公園の隣には高校があって、道沿いに葉桜が咲いていた。

その姿に、桜の散る儚さよりも、新しく芽生える生命の息吹を感じた。

弟子の命はもう長くない。それが痛いほど伝わってきて、余計に新しい生命が眩しかった。

そして、「嬉しい日」だった次の日曜日。
その時のブログにあえて書いてなかった事。

その日も弟子は、拝師弟子練習の為と、例の2人の生徒を自分に会わせる為に、身体に鞭打って出てきた。

入院中の拝師弟子練習は座学が中心であったが、弟子の最後のお願いという事で今回はお休みとし、2人の生徒が経営している喫茶店に行くまでの時間、初めて出会った北名古屋市の公園を見に行くことにした。

そこで、弟子に套路を幾つか見せる。ここが始まりの場所であった。ここから宇童会が生まれたのだ。

その後、喫茶店の駐車場に着くと、しばらくの間、弟子は目をつぶって身体中の気力を振り絞るべく休む。だが、もう身体にほとんど力は残ってなかった。弟子の腕をとって身体を支えてやりながら店に入り、陶芸の飾ってある一階から、喫茶店スペースの二階へと階段を登る。

もう、2人の前で元気な姿を見せる為に、無理をして頑張らなくても良いのだと、階段を、手を引いて一歩一歩登りながら、心の中で涙が溢れた。

お二人の名前は「正子」さんに「いずみ」さんという。「正」は明鏡に繋がり、「いずみ」は明鏡止水を思わせる。お二人とも明鏡拳舎に何かしらの縁を持って現れたようにも感じた。

その後の事は「嬉しい日」のブログに書いた通りだ。

特に、太極拳をし終えた後の目の見えないいずみさんの明るい笑顔が、本当に心洗われるようであった。

そんな様子を、弟子は嬉しそうに、ホッとしたような表情で眺めていた。

ーーーーーーーーーーーーーーー
平成27年 5月8日
開門弟子・加藤ひとみさんは永遠の眠りについた。

2年以上の闘病、痛みと苦しみからようやく解放されたのだ。弟子にとって生きるという事は、常に痛みや苦しみを伴うものであった。それでも弟子は生きる道を選び、最期の最後まで戦った。我が門の「今出来ることを丁寧に工夫しながら行いながら、少しでもいいから前進すること」を真摯に守り抜きながら。

途中で気付いた事。それは「お疲れ様、よく戦ったね。」そう言ってあげられるのは、痛みがなくなるのは、もはや死を迎えた時しかなかったのだ。

初めて出会った公園を見ながら、

「死ぬのは怖くない。死んでしまえば、痛みも気にせずに自由に練習出来るから」

そう呟いていた弟子であった。

いつだって工夫し、ベッドに横たわりながらでも練習をしていた弟子。危篤状態になる前日までそれは変わる事はなかったと、ご家族がその様子を伝えてくれた。

いつか治った日の為に、いつか元気になった時の為に、その功夫が活きるような内容を二人で模索し、闘病の間も積み重ねてきた。ほんの少しでもこの武術を磨く為に。前に進む為に。

この未熟な師匠の元、共に真摯に学びあってきた。

今なら「本当によく頑張りましたね。お疲れ様」と言えるのだけれど、弟子が「先生~。今、練習中です!」と笑顔で答える顔が目に浮かぶようで、むしろ「これからは距離も関係なく、いつでも、何度でも套路を見せてあげられますよ」と言ってあげた方が相応しい気がしてしまうのだ。

自然が大好きで、真摯で、本当に優しい心を持った弟子であった。

そんな素晴らしい弟子に出会わせてくれた人生に。
そして、自分に生き甲斐と教える事の喜びを与えてくれた弟子に、感謝を込めて。

願わくば、あの葉桜の風景のような場所で、風に花びらが舞う中、弟子が伸び伸びと自由に、私達の武術を練ってますように。

嬉しい日

標準

先々週の日曜日は嬉しい日であった。

それは、初めて弟子が教えている生徒に会うことが出来たからだ。
そして弟子が教えた太極拳をその生徒さんが打つ姿を見ることは、こんなにも嬉しいものなのかと、しみじみ感じ入った日であった。

もっとも、弟子のH.Kさんには正式な教練資格を与えているわけではないが、これには理由がある。

昨年の秋からの事だが、教室には参加出来ない方の為の別枠として、H.Kさんが教授代理として新たに教室を開く事を許可した。そこで習っているお二方は母娘で、喫茶店を経営している関係でどうしても時間が取れない事もあったが、もう一つの大きな理由として、娘さんの方は目が見えなかったのだ。全盲で光すら感じる事が出来ない。

つまり一生、先生の套路を見る事も出来なければ、自分がどういう姿をしているか確認する事すら出来ない。「学ぶ」という言葉は「真似ぶ」から来ているが、同時に様々な部分が連動して動く太極拳を、その学習の最も基本と言える「見て真似をする」という事が全くもって出来ないという事は、かなりの試行錯誤や工夫を余儀無くされるのは想像に難くないだろう。

H.Kさんは今までにも、療養先のサナトリウムで院長先生の奥様に請われて教えたり、やはり療養に来ていた作家でもあり監督経験もある才能溢れる女優さんを含め、短期間ではあるものの幾人かを教えたりすることになった時もあった。

その時も自分は自信を持って任せる事ができたし、お二人についての話を伺った時も、全盲という自分自身も未体験の難しさを思いながらも、やはりH.Kさんなら大丈夫だと信頼する事が出来た。H.Kさんには時に人一倍厳しく要求しながら、お互い真摯にこの武術に向きあってきた日々の積み重ねが、それを絶対的なものに感じさせてくれる。

教えるという事については、自分自身でも経験している事だが、いざ、この武術を教えるとなると不思議な事に次から次へと教える事が浮かびあがってきて、教える事に困る事がない。また、時と状況に応じて様々に工夫するだけの理解が備わっている事にもあらためて気づく。

むしろ教えれば教える程様々な気づきがあり、こんなにもたくさんのものを自分は習っていたのだと、振り返るのだ。

実際に自分が会ってみるまでに、H.Kさんから聞く新しい教室の様子は、実に興味深いものであった。

我々が大事にしている「まず自分の身体を感じる」ということ。それがまさに、教えた事に対して娘さんから帰ってくるリアクションや言葉は、「感じる」という事の純度の極みと言えるものであった。ナチュラルに出てくる感想が、まるで内功武術の核心部分について話をしているかのようでもあり、一言一言が実に豊かな内容に溢れていた。

H.Kさんが、工夫しながら確かなものを教えている様子が、その内容から活き活きと伝わってくるようだった。

そしてとうとう、初めてお二人の套路を見せてもらったわけだが、目の見えない娘さんが伸び伸びと太極拳を打つ姿に、どれ程感動を覚えた事だろう。それはまさに明鏡拳舎の太極拳であり、同時に、弟子の太極拳であった。

一回一回に進めるのは、ほんの僅かだ。身体にあちこち触れてもらったり、手で導いたりして、全体像を頭の中に構築してもらって、初めて次に進める事が出来る。

まだまだ最初の方の7勢だけではあったものの、ここまでに至る弟子の工夫と、真摯に教える気持ちが、その姿に込められていた。

我々の太極拳とは何か。
その問いに対する答えが、ここにある気がした。
あくまで武術として教え、武術として磨いていく。
そこに「義」がある。

我々の武術には、段や級もなければ、賞とも無縁のものだ。

だが、もっとも大切なものがここにはある。