明鏡拳舎の八卦掌

標準

「進化か?偽物か?」のところで我々の八卦掌、というよりも明鏡拳舎の八卦掌は異端というようなことを書いたが、当然ながら、それには理由があってそう見えるということである。一言で言えば、我が門の八卦掌の技は3D的なのだ。

我々の八卦掌は、走圏や套路も、円ではなくあくまで「八角形」の考え方だ。加えて「軸」の重要性。軸は立身中正を保つのではなく歳差運動をおこしながら自由に動く。だから身体はコントロールできる範囲ならいくら傾こうと構わない。そして「螺旋」。我が門の八卦掌を構成する要素はこれだけと言ってよいし、むしろ、それ以外のものが混じるのを嫌う。

ただこれだけの事なのに、見た目や理屈は一般のものと非常に異なったものになる。特に「軸」に対する考え方は、動きを目にすれば馴染まない人もいるかもしれない。しかし、軸を倒すのは心意六合拳等でも普通に存在する動作である。逆に、本当に立身中正のまま途中一切身体が傾かない套路がどれだけあるだろうか?定式だけをもって常に立身中正と思い込んではいないだろうか?結論から言えば、人間は歩くときだって身体は微妙に傾きを繰り返している。「不安定の中の安定」。だから八卦掌は歩くこと=走圏から始まっている。

八卦掌は董海川からの流れからしてすでに、各流派で行われていることが違っている。そこからまだ数代しかたっていないわけだから、ある意味、発展途上中の拳法であるとも言えるかもしれない。もっとも我々の門は言ってみれば、時代を経ても絶対に変わらない部分と、時代を経ながら練磨し変化していく部分とが、陰陽のように合わさって積み重なっていくものだと考えているからこそ、揺らぎがないのかもしれない。

ただ、我々の八卦掌には一つ言えることがある。それは、我々の八卦掌は、技をかけられた相手は螺旋に崩れる、もしくは螺旋に倒れるということだ。螺旋の力が相手に伝われば、相手もまた螺旋に崩れる。出来ているか出来ていないかを判断するのはシンプルである。だから面白い。明鏡拳舎の八卦掌はある意味まだまだ再編纂中だが、自分の中では、答えは常にハッキリしているのも八卦掌である。

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