精花太極拳の編纂過程その2

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さて、前回その1は師父からのメールの内容は?というところで終わっているので、まずはそのメールの内容からである。
あらためて、そのメールをいただいたのは「守破離」を論じたブログを書いた時だ。抜粋にはなるが、以下に掲載したい。
なお、師父に代わってお断りしておくならば、その内容についてはあくまでも当門に伝わるものだということをご了承いただければと願う。

「ご存知の通り、これは日本発祥の道芸に関する考え方ですが、日本武道や日本文化を研究、あるいは留学によって吸収していた、国民党及び中央国術館の諸先生先輩の間で、様々な見解が交わされたものだ、と榮明先生から伺っていました。
その大筋は日本武道、茶道、その他芸道の様々な一般的な教えの紹介…これは特に新流派創造にとって実に都合のいい解釈として受け入れられていましたが、中には中国武術ならではの解釈を矜恃とする先生もおられ、陳泮嶺先生は正に、宇野さんとほぼ同じく、明暗化の三層之功夫を論じられたそうです。
ただし、本については、明暗化を経て自分が達した高みを説くに終わらず、次に伝えるべき基本こそを再構築せよ、基本を編み出してこそ指導者たりえるのであり、それなくば伝承は果たせぬ、との見解だったそうです。
榮明先生はその教えを受けてさらに、
守:まず我が身を守りきる
破:敵の技を破り敵を破る
離:攻守勝負を離れた境地
本:守破離から産む基本
とも解され、
その上で、わかりやすく初学者向けに用意するカリキュラムとして、
守:太極拳
破:形意拳
離:八卦掌
本:基本功(常に)
の順に教えるのだ、という考え方を、ある時期しきりに説かれていましたが、極峰拳社を作ってからは、むしろその手順にとらわれるなと、よく仰っていました。」

これが師父からいただいたメールの抜粋である。

最近あらためて拝読して、自分が精花太極拳を編纂したのは、このような意味があったのだと気付かされた次第だ。

精花太極拳とその練習段階には、まさに自分が今までに学んだ教えや研鑽した結果を全て注ぎ込んでいる。その中には介護の経験すら含まれており、まさに現段階での集大成だ。その上で、誰もが取り組みやすいようにと編纂を心掛けた。

つまりは精花太極拳は、その基本功や練習体系を含めて、全てが「次へ伝える基本」。即ち「本」なのだ。

さらに自分はブログ「守破離」の中でさらに自分はこうも書いている。

「自分が教える太極拳とは、
師父が教えてくれた太極拳でありながら、
師父の太極拳ではなく自分の太極拳であり、
ではその自分の太極拳はと言えば、
自分の太極拳などというものはなく、
ただ「太極拳」なのである。」

と。

まさかこの時は精花太極拳を自分で生み出そうなどとは露にも思わず、単に細かい枝葉の違いという意味くらいにしか考えていなかった。

だが、双辺太極拳から精花太極拳が生まれた後であっても、この言葉が変わる事はないし、むしろその意味は深まっている。そう、前半の3行については、この言葉通りだ。

それよりも、後半の『自分の太極拳などというものはなく、ただ「太極拳」なのである。』とは、あらためて当時は(と言ってもわずか3〜4年前なのに)随分と世間知らずで恥ずかしい事を書いたものだなぁとも思う。だが、道を歩んで行くのならこのくらいの気概を持っても構わないとも感じるし、まだまだたくさんの恥ずかしい思いをするだろう。

だが、それ以上に太極拳や武術が与えてくれる学びは、面白いし素晴らしい!それに尽きる。精花太極拳を編纂する過程で、もっとも感じたのはその事である。いわば、先師が通った道を、自分も追体験したのだ。それはあらゆる原点のようにも感じる。

ただ「太極拳」と言えるもの。それを追求していくのは、まさにこれからだ。

ちなみにいただいたこのメールの後には、師父自身の考察や気づきが綴られていたのであるが、それは是非自分の兄弟弟子が自らの力で、自らの行動を通して師父から引き出していただきたいものである。

なぜなら師父の考察は、自分で師父から学び得てこそ、価値のある内容だからだ。

そして自分の学生や拝師弟子には、こうしたやり取りの中に、師弟というものの気迫を感じ取って欲しいものである。

精花太極拳の編纂過程というタイトルを付けておきながら、過程というよりも総論になってしまった。

次回、段階練習が生まれていく過程も含めて、体系としてまとまっていく様子を、なんとなく記録的な意味合いで残しておきたいと思う。

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