三拳融合と三拳弊習

標準

我が門の武術は、太極拳、形意拳、八卦掌の内家三拳の融合を試みられた上での、三拳弊習である。なぜわざわざ三拳をバラバラのままに残して弊習のスタイルのままにしたのか。そこが興味深いところでもあり、我が門の武術がどういうものであるかを表しているとも言える。

まずは、どのような理由からこれらの三拳をもって内家拳と呼ばれているか。例えば、単に見た目の剛柔をもって内家拳と分類したのならば、形意拳に至ってはかなり剛の風格を残すものである。それでもあえて内家拳に分類されたということは、つまりはこれらの拳種の中に共通のものを見出したからに他ならない。それが三拳を融合させようとした最初のきっかけだっただろう。

しかし、その三拳を融合した拳法が誕生することはなかった。
唯一、我々の太極拳である、双辺太極拳において、陳式や楊式、形意拳、八卦掌の要素が入っていると認識されているのみである。

振り返って、我々の太極拳、形意拳、八卦掌は三拳融合を試みられればこそ、内家拳からさらに内功武術へと共通する部分が確立されるとともに、絶対に相容れない部分。形意拳が形意拳として存在する理由、八卦掌が八卦掌として存在する理由がハッキリと見えてきた故の、三拳弊習なのだという事が言える。

したがって我々の三拳は、太極拳の中に形意拳や八卦掌が入っていれば、形意拳や八卦掌もまた同様に、太極拳や八卦掌、または太極拳や形意拳の要素を含んでいるということである。しかし、明鏡拳舎の武術を見てもらえれば分かってもらえると思うが、太極拳はいかにも太極拳、形意拳はいかにも形意拳と言った風格をもっている。
それぞれの要素を含んでいるからと言って、どれも似たり寄ったりの曖昧さがないのは、絶対に相容れない部分がハッキリしているからこそ、拳種の特徴もまたハッキリと表現しているからに他ならない。それが三拳弊習の面白いところであり、それを補っているのが融合させようとしたきっかけとなった共通部分である。

融合させようとした試みが生んだものはそれだけではない。練習方法等についても同様で、結局のところ、
「我が門の武術は、我が門の練習方法や考え方によって完成する」ということだ。

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