掌形

標準

人体で最も器用で意識が行く部分はどこか?というと手(指)あろう。
つまりは、それらを含んだ掌形。そんなことも我が門の内功武術のヒントとなる。
心、意、氣、力。
上下相髄の考え方にも通ずるが、もっとも意識が行く部位を活用しない手はないだろう。

だが、師父が曰く「手(指)の形は、練功を積んできて最後に整う」とも言われていたように、掌形はその時の状態を表す全体の結果でもあり、練習においては段階にもよるが、本来的には積極的に活用すべき双方向のものだ。
そういう意味では、内功武術の成果として、指の形、掌形にどのように意が通っているかを見るのは一つの愉しみでもあり、活用においては、例えば象形拳・いわゆる動物をかたどった拳を練る場合等には、まさにスイッチのような存在にも成り得るだろう。考え方次第で色んな広がりを持つものである。

このように掌形一つとってもなかなかに味わい深いが、だからこそ、我が門の三拳「太極拳、形意拳、八卦掌」の基本となる掌形が全て、一つの形に集約された形で融合されているのも、三拳弊習というものが生み出した成果であり、最も象徴的なものであると言えるだろう。

余談だが、その形は自分が習った大東流合氣柔術の形とも似ているのが面白い。処々の理由で武術修行記は第一部で完結したままだが、大東流編でこれは書いておきたかったという内容の一つに、この「手の形」の話があった。

その話は「武術修行記 ~合気道編~」とも繋がっていて、砂泊先生の手の形について(4)で、このように書いている。
「砂泊先生の合気の手は巻き込むような通称「猫手」が有名だが、普通の合気道のように開いた形は「陽」、巻き込むような形は「陰」なのだと、手を取りながら合気の感覚と共に説明してくださった。」

そして、自分が初めて大東流の先生に技をかけていただいた時、指の形を見て思ったのだ。
「あ、これは砂泊先生の仰っていた「陽」と「陰」が結合した形だ!」と。

…話が少しそれてしまったが、今回の話でもっとも大事なこと。

三拳弊習のシステムによって生まれた我が門の掌形だが、さらに深く掘り下げれば大事なことは、技術的なことよりも先に、そもそもが「我が門の武術は”三拳の交流”によって生まれた武術である」ということだ。

そのことは、(このブログに御名前を出させていただいて恐縮だが)刀禅の小用先生のところに開門のご挨拶に伺った折、その後のやり取りの中でふと出てきた言葉であったが、我が門の掌形は、言ってみれば「三拳の交流」によって生まれた「武林皆一家」を象徴した掌形でもあるのだ。

だからこそ様々な意味で、その想いを汚すようなことがあってはならないと、あらためて深く心に刻み込む次第である。

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