精花太極拳の編纂過程その3

標準

精花太極拳における練習体系は、あえて
「書・剣・花・雲・鳥・風・地・天・人」
という日本人にイメージしやすく分かり易い言葉で、九つにまとめた。

これをさらに見やすく八卦掌の三回九転の考え方で並べ直すと、左上から、

書・剣・花
雲・鳥・風
地・天・人

となる。

そもそも練習体系は何のために存在するかと言えば、太極拳の理解を深めるため、太極拳的な考えを養うためであり、その為の方便が九つの段階練習ある。

もっと言ってしまえば、愉しみながら無理なく太極拳が出来て、なおかつ、わかりやすく面白さを感じながら理解が深まっていけば、それが良い。

精花太極拳には、自分の経験や学び得た全てを入れ込んであると書いたが、逆に言えば、それらをいかに伝えるべくして伝えるのか工夫してまとめたものが練習体系なのだ。

九つの文字には個々に学ぶべきテーマがあるが、初心者が順を追って学ぶには、例えば

書・剣・花(上下相随)
雲・鳥・風(下実上虚)
地・天・人(一動全動)

というように、大きく三段階のテーマにも分かれているし、また左側の縦の列に注目するとそこには、

書(精花太極拳を覚える)
雲(楊式太極拳との繋がりを学ぶ)
地(陳式太極拳や双辺太極拳の繋がりを学ぶ)

というテーマも含まれている。

単純に言えば、精花太極拳という一つの太極拳でありながら、テーマを変えることによって、我々の太極拳にとって重要な二つの門派の雰囲気を、あくまでも独自の解釈には過ぎないのだが、擬似体験できるようにも工夫してある。

ルーツを辿る過程とも言えるし、変化の意味を知る過程とも言える。

もっともその事に気付いたのは、ある意味、偶然と言おうか、偶然の必然と言おうか。それぞれのテーマで練習している時にふと「自分が何の太極拳を練っているのかわからなくなった」瞬間があった。逆に言えば、その瞬間は楊式にも陳式にも精花太極拳にも…いずれの太極拳にも自然に繋がって行く感じがした。その時、今までバラバラだった色んな事が全て繋がって感じられたのである。

他にも例えば、こんな捉え方もある。

書・剣・花
雲・鳥・風
地・天・人→力
↑ ↑ ↑
氣・意・心

これは縦に「氣・意・心」。九つ全体で「力」
当然の事ながら「心・意・氣・力」の、内三合の要素がテーマになる。

もちろん内三合は、常に出来ていないといけないものではあるのだが、それぞれをテーマにして行う事で、それぞれの働きや特徴をよりハッキリと認識する事が出来る。

というよりも…それ以前に、そうしたイメージや意識で行うことが、不思議としっくりくるように出来ているのだ。

等々…

これらは体系の説明の一部であるが、初めからこうしたものを作ろうと思って作り上げたわけではない。始めから作ろうと思ったら、何からどう取り掛かるかすら見えなかったに違いないだろう、

一つ一つ丁寧に愚直に模索していく中で、一つ一つ気づきを得ながら、ある所に至ると自然に次の門が開いていく、そんな感覚であった。

そうした末に出来上がったものを俯瞰して眺めてみると、「守破離」の末に、なぜ精花太極拳という「本」が必要だったかがわかる。

一つには、我が門の最大の特徴でもある三拳弊習だが、「太極拳・八卦掌・形意拳」の三拳を修めるのはとても大変なことだということは、自分自身が身に沁みて感じているからだ。

学び終えた末に自分の中に宿るものはとても素晴らしいものなのだが、そこに至るまでの道のりは当たり前だが長い。中には「天・地・人」に恵まれなければ、得られなかったと思われるものもある。

だからこそ集大成というものが必要で、そしてなお、振り返ってみればそこに至ってこそ新たな出発点なのである。

…ああ、そうだ。

つまりは、

「地(守)」「天(破)」「人(離)」

という事なのだ。

離こそは、人(個)としての出発点だ。

だからこそ精花太極拳という「本」が生まれた。

ならば…精花太極拳という独創的な体系の太極拳を、所詮は創作した太極拳と引け目に感じることはない。なぜなら、見た目や使う言葉は違っても、それは自分が身につけた三拳弊習の体系そのものだからだ。精花太極拳は、ただ「新しい套路を作った」に過ぎないのではない。

おそらくこうした変なこだわりを持って、こんなものを作ろうと思う人は少ないに違いない。自分もまた意図して作ろうとしたわけではなく、ふと気づいたら出来ていた。

「頭で考えて」というよりも、「心で感じながら」必要に応じて自然に生まれてきたもののよう思えて、だからこそ面白いし、精花太極拳と共に生きるのもまた自然だと思えるのである。

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