進化か?偽物か?

標準

中国武術につきまとう、本物か?偽物か?という議論。
果たして我が門の武術が他所や昔のものと違うのは進化なのか?それともただの創作なのか?

一つ言えることは、時代が変われば環境も変わる。周りの格闘術が進歩すれば、当然それに対処できなければならない。どんなに最新のパソコンを入手しても、4~5年後には、ただの遅いマシンに変わっている。今はそういう時代である。現代の格闘技においてコンビネーションは当たり前。ワン・ツー・ローキックが基本になるようなそんな時代に、例えば太極拳の楼膝拗歩で、ただの単発のパンチを前手で払って打つ技だと習って何になろうか。もちろん、段階練習としては単発の攻撃をしっかり捌く練習も必要だが、それで楼膝拗歩の動作の意味が全てとなってしまっては、武術としてまともに戦えるわけがない。気で倒すなんてのは論外だし、よく聞くところでは実戦では無形になるというが、では例えばボクシングや柔道の試合を見て「無形」だと思うだろうか?自分には普段練習していることを根気強く出し続けているように見える。
自分が楼膝拗歩を習った時は、古い時代の技でも現代格闘技の「ワン・ツー・ロー」を捌いて攻撃できる、そういう技なのだとして習った。もちろん用法はそれだけではない。それ以外の使い方も、目から鱗の技ばかり。それが我が門の楼膝拗歩だ。

我が門の太極拳や八卦掌や形意拳は他所のとは違う。今では自分と師父の間でも違うのもある。特に八卦掌はその解釈も風格も周りの八卦掌とは全く違った異端のものになってしまった。かと思えば形意拳については、むしろ師祖父が変えたものを一部昔の形に戻したりもした。だが、師父はそれで良いという。師父の技をそのまま受け継いでいく弟子がいれば、自分のように実戦経験や研究の積み重ねから、どんどん技や套路を変化させていく弟子もいる。少なくとも師父が受け継いだ師祖父の技は、後者のものだ。そして自分は、そんな師祖父の技を師父を通して学ぶことが出来たことを誇りに思っているし、師父がスポーツ界において確立してきた実績や解釈が加わったことは、この武術が常に進歩または変化し続けてきたことの証であろう。
いずれにせよ、先師より受け継いだものは時代の流れの中で風化させることなく、より磨き上げて次世代へ繋げていくのが本当だと思う。その結果が、進化か失伝か、本物か偽物かは、周りが評価すれば良い。

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