武術修行記 ~合気道編~(4)

標準

◆合気修行の成果

指を取りに行って、掴んだと思った瞬間に、正座のまま一回転した自分。

それは、この二週間にかけていただいた全ての合気とはおよそかけ離れたものだった。だがそれは、秘伝があってやり方の違いという感じのものではない。自分が感じたものを一言で言うなら、技の「純度」の違いであった。砂泊先生の合氣は澄み切っていた。

何とも言えない気持ちに包まれる中、なんと砂泊先生は今の技の原理について手を取ってその軌道を教えてくださったのだが、投げる原理としては関節技の応用だという理屈はわかるものの、それ以前に「合気」が自分にはわからない。
どうしたらいいのかと思っていると、砂泊先生にもそれが伝わったのか、技をかえて合気の基本の感覚を自分の手を取って導くように教えてくださった。

取られた手から力を流して相手に入り込むという事。いくつかの形をとる中で力が身体の内部をどう流れていくのかがわかった。そしてその逆も順々に導いてくださった。

不思議な感じがするが、砂泊先生の合気は相手の最も力の出るところから、逆にそれを辿っていくように入り込んでいく。砂泊先生の合気の手は巻き込むような通称「猫手」が有名だが、普通の合気道のように開いた形は「陽」、巻き込むような形は「陰」なのだと、手を取りながら合気の感覚と共に説明してくださった。
砂泊先生は大本教の繋がりで植芝翁の弟子になった方だったからこその説明ではあったが、こういった発想も今になってみれば内功武術の陰陽の考え方と非常に重なるものだ。

それで「合気が分かった」とはおこがましくて言えないし、その時の合気の感覚がどの段階に位置するかはわからないが、とにかく自分の中で一気に何かが得られたのは間違いなかった。事実、今まで出来なかったことが出来るようになっていたし、自分の中に明確な一つの感覚があった。

その日の夕食は、再び砂泊先生のお宅に招かれて、奥様の手料理をご馳走になった。そして食事が終わり、教えていただいたお礼を述べると、砂泊先生はすっと立ち上がり本を2冊出してこられた。ご自身の著作である「合気道の心を求めて」と「続 合気道の心を求めて」だった。そして筆と墨を用意すると、一冊一冊に自分の名前と砂泊先生の名前とを書き添えてくださった。それが「武術修行記 ~少林寺拳法編~(3)」に予告として乗せた写真だ。それを自分に贈ってくださったのだった。

今こうして思い起こしても、感謝してもしきれない、素晴らしい経験をさせていただいた。

道場に戻ると、そこで寝泊まりするのはこの日が最後だと思ったが、感慨にふける間もなくすぐに眠ってしまった。
そして…翌朝の稽古に参加して、熊本でのすべての合気道修行を終えたのだった。

途中、岡山で一泊しながら、二日かけて東京に戻ってきたのだが、電車の中で何度も何度も、習ってきた技と、最後の最後につかんだ合気の感覚を噛み締めていた。

合気の感覚が身体に入ったことで、少林寺拳法の技が変わっていったことは言うまでもない。また、練習に対する考え方も変わっていた。理論と同時に感覚も大事にするようになった。
松田先生の「これぞ少林寺拳法」と言う体系的な考え方や身体の使い方によって技が変わっていったのに加わって、合気の感覚を得たことでさらに技が変わっていった。分かり易いところでは突きの威力が、その二つの過程を経るたびに段階的に上がっていったのである。

そして大学四年の秋。教育実習で実家の会津に戻っている最中に大東流合気柔術が武田惣角先生のご出身である会津坂下に残っていることを知り、まさかの展開が待っていたわけだが、武術修行記はこの辺で一旦終了しようと思う。

自分が習った大東流合氣柔術もまた本当に素晴らしい武術で、惣角先生の解釈の入った小野派一刀流と共に学ぶスタイルは、中学生の頃に剣道をやっていたことも含めて、ここに全てが繋がったとすら感じた武術であった。しかし、その後のまさかの展開によって、東京でその先生の大東流合氣柔術を続けられることになったことも縁なら、途中で仕事の関係等でどうしても継続できなくなり、中国武術の世界に入って師父と出会う事となったのも縁だろう。

自己紹介と、ここまで自分を成長させていただいたそれぞれの武道・武術に感謝の想いも込めて書き始めた武術修行記ではあったが、やはり自分の門を構えながら他派の武術をいろいろと語るのは、失礼なことでもあったかもしれない。

そんなわけで、武術修行記の~大東流合氣柔術編~以降をどうするかは今のところ未定だが、ブログにおいては再び「内功武術 明鏡拳舎」について語っていきたいと思う。

(武術修行記 第一部 完)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA