武術修行記 ~少林寺拳法編~(1)

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ブログを始めてから5回にわたり、自己紹介もなく怒涛の如く記事を書き連ねてきたわけだが、友人がmixiで自身の修行歴を書いていて自分もいつかやろうと思っていたのが、この武術修行記だ。
そんなわけで、閑話休題兼ねて自己紹介代わりの「武術修行記 ~少林寺拳法編~(1)」である。

◆少林寺拳法との出会い

中学で剣道を3年間経験し、一浪して美術大学に入った自分は、なんとなくまた剣道がしたいと思っていた。ところが、大学の剣道部はほとんど活動がないような感じでどうしようかと思っていたところに、クラブ紹介でふと惹かれたのが「少林寺拳法」だった。この頃は、他所の大学だといわゆる「体育会系」の空気もかなり残っていたが、そこの先輩たちは美大にくるだけあってそういう気風は嫌っていながらも、美大らしい愚直に何かを追い求めようとする空気があった。他にもそれを感じたのか、この年と言うのは男女含めて12人が大量入部した年だった。

この時、教えてくださっていたのが、後に八王子南道院の初代道院長となる米木美明先生。奔放でありながら、いつも自分がまず学ぶ姿勢というのを生き生きと示してくださっていた。
部を創設した初代の先輩は、米木先生がそういった人柄だったこそ、「だからあんたに頼みたいんだ」といってお願いしたそうだ。

少林寺拳法では年に2度、全国から集まって大学合宿というものがある。夏と冬、そのどちらかに参加するわけだが、大規模なだけあって少林寺拳法の高段者の先生方も指導者として何人か集まるので、そういった技を見ることが出来る貴重な機会でもあった。練習は段位や級別に分かれているにもかかわらず「あの先生がいいんだ」となると、率先して抜け出してその先生の技を見に行くような先生で、むろん、自分たちもそれに従った。
例えば「歩く教範」と言われる梶原道全先生の説明や技などは、教範に書いてある内容を「なるほど、そう解釈して行うのか。確かにそのままだ」と思わせるものだった。
当時、梶原先生は60を過ぎていたと思うが、講義の後のあちこちで技の確認や質問をしている時間帯の中で、ある大学の女子生徒が「すみません、私と乱捕りをしてください」と梶原先生にいわゆる組み手を申し込んだ。補足しておくと、今はどうかわからないが当時の少林寺拳法は自由組手はほとんど行わないし、どちらかと言うと禁止しているような空気があった。そんな状況の中、梶原先生はそれを引き受けると、開始の合図とともに、すっと繰り出したのが飛び二段蹴りだった。まさか、背が小さくお年を召した高段者の先生がいきなりそんな大技を放ってくるとは誰も予想しておらず、あっさりと決着がつくと「相手の虚をつく。それが少林寺拳法だ」と言って笑っておられた。そんなエピソードを直に見られたのも良い思い出だ。

その後、山の手道院の松田欣一郎先生に講習会の合間に技を質問させていただいたのがきっかけで自分の技が変わっていくのだが、とりあえず今回はこの辺で次回へと続く。

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