武術修行記 ~少林寺拳法編~(2)

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武術修行記も、いざ書き始めるといろんなことを思い出すものである。少林寺拳法編とは言っても、今回は合気道との関わりが主となる。

◆合気の足音

大学二年から三年にかけての春休みの事。
工事現場で警備のアルバイトをやっていたのだが、ある日、休み時間に武術関係の本を読んでいたら「おっ、君は武術をやっているのか」と突然声をかけられた。声の主は清掃の仕事で入っているオジサンで、自分が「はい、少林寺拳法を」と答えるとそこから話は弾み、その方は大東流合気柔術・佐川先生の元弟子ということがわかった。もっとも、その時は漫画「拳児」に出てくる佐上先生のモデルが佐川先生とは知らず、ただ名前を知るのみだけだったので、ただそうなのかと思っただけであった。その方に技をかけてもらう事はなかったが、「写真で良い先生の形を見るだけでも、勉強になるよ」とアドバイスをいただいたのが心に残った。それから、本の活用の仕方が変わっていったように思う。

◆転機

転機となったのは、大学三年の時。その年は、少林寺拳法の国際大会が本部のある香川県多度津町で、講習会形式で開かれることになった年であった。それが何の関係があるかというと、その手伝いのスタッフとして美大の拳法部の中から何人か参加することになり、その中に自分も入っていたのである。打ち合わせから当日の準備等働く代わりに、講習会にも参加させてもらうことが出来た。もちろん、それも良い思い出ではあったが、直接の転機になったのは東京センターの資料を自由に閲覧させていただけた事にある。
当時はビデオも非常に高く、それだけいろんな武道の資料が揃って自由にみられるという事はまずありえないことだったが、それによって佐川先生の元弟子の方にいただいたアドバイスが存分に活きたのである。

自分は福島県の会津が出身だっただけに、「拳児」の中に出てきた大東流には特別に興味をひかれていたこともあって、合気道関係のビデオを見ることが多かった。むろん、某流派の大東流のビデオもあったのだが、それはどちらかというと正直期待外れで、自分が一番に心惹かれたのは「1985年 第一回友好演武会」の万生館合氣道・砂泊[言咸]秀先生の技であった。合気ニュースから出版されている「植芝盛平と合気道」の中にある砂泊先生の言葉はとても率直で、技に対する考え方も非常に興味深いものであった。

ちなみに自分が見たビデオはこちら。

また、書籍「植芝盛平と合気道」から砂泊先生の言葉を一部、以下に紹介させていただく。

「私の場合、長いこと先生についていなくても、自分の非力と言うものを熊本に来て体験しました。反発するものや素直に稽古しないのがたくさんいますよ。何百人といるのですから。技をかける前に力ずくで頑張るのですから、もうきまらない。こちらが技をかけようとするとパッと止めてしまうのです。そういうものに対しては、単なるきめ技ではきまらないです。そういう他流試合みたいなものを私は経ているのです。技が効かないという事はいかに惨めか、気持ちがどん底まで落ちた状態です。それが私の一つの貴重な経験なのです。それを克服する為にはどうしたらよいかということになった時、先生の精神的なものを目標にする以外にない(中略)和合とはどういうことか、それには力を抜く以外にないのです。体力で相手にぶつかっては駄目なのです。そういうものを私は毎日頭の中に入れ、その心の世界を技の面で表してきましたし、それが稽古の中にも表れたのです。」(185ページ)

言葉だけでは精神論的な印象を受けるかもしれないが、映像を見てから読んだ自分にはますます興味を掻き立てられ、有名な高段者の先生の映像が収められている中、自分が習ってみたいのは砂泊先生の技だと思ったのだった。

とはいえ、この頃は少林寺拳法に夢中であったことも事実で、山の手道院の松田欣一郎に教えていただく機会があったのもそういった時期であった。

ということで、ここまででも長くなってしまったので松田先生のお話は次回に。

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