武術修行記 ~番外編~(1)

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武術修行記は第一部で終える予定であったが、リクエストも多かったので、番外編としてその後の経緯をざっと書いておこうと思う。
合気道編の終わりの部分と若干重複する部分もあるが、合気道修行を終えて東京に戻ってからのところから始まる。

熊本での合気道修行を経験した後は再び大学の少林寺拳法部に戻り、およそ殺伐とした他大学の体育会系拳法部とはまったく無縁な和やかな空気の中、汗を流していたわけだが、多少語弊のある言い方をさせていただくと、片や理論を大事にした少林寺拳法、片や感覚を大事にする合気道と、二つの全くといって良いほど対照的な武道を経験した後は、自分の中にかなりの変化をもたらしたのであった。

例えば少林寺拳法の柔法で、投げに入る前の仕掛けの要素である「崩し」。
崩しとは、柔道の「八方崩し」のように、まず相手を崩す方向が大事だと強調されるのであるが、その通りの方向へ相手を崩しているつもりでもなかなか上手くいかないことが多々ある。ところが、合気道の力の流れに対する感覚を経験した後では、その方向へ崩しているつもりでも、実際にはただその方向へ引っ張っているだけでそう思い込んでいただけで、相手の状態を見ると、相手の緊張具合や重心の位置が技を仕掛けている方向とはまったく噛み合っていないということが見えて来た。もちろん、当時の少林寺拳法の機関紙「あらはん」などの技術解説でも、崩しの際に「相手の物体化」というようなことを言っていたと思うが、実はその状態を作り出すことこそもっとも感覚的で繊細な技術が必要だったことに気付いたわけである。

と、こんな風に細かい話をすると話が長くなってしまうのでその他は割愛するが、柔法だけでなく突き蹴りが主体の剛法も含め、いろんな意味で技が変わっていったのであった。

そんな大学四年の夏休み明け。一応教職課程を取っていたので教育実習があったわけだが、これがまたしても大きな転機となる。
教育実習生として実家に戻った二週間の間に待っていたのは、大東流合氣柔術との出会いだった。

今からすればなぜそんな話をしたのかとも思うが、たまたま夕食のときにまったく武術とは縁の無い父親に
「会津には大東流っていう武術があったんだってね。」
という話題を振ったところ、なんと知り合いが大東流を習っているという。大東流合氣柔術が元は会津の武術とは知っていたが、まさか今もまだ残っているとは微塵も思っていなかったのだ。しかもそれは話から察するに武田惣角の血縁者の方らしい。

大東流はもちろん習えるものなら習いたいと強く思っていたのでお願いしたところ、幸いにもお電話にて許可をいただくことができて、教育実習中よりも大東流の為に実家に帰っていたような二週間となった。(笑)

ところで、その先生はとにかく表に出るのを嫌う先生で、見学も許してはいない。
なのでここでは御名前を出したり、その一切の内容についてお話しするのは控えようと思う。

実習期間を終えて東京に戻ると、もうなかなか習えないなと残念な思いだったのだが、幸運なことにそこで大東流とその先生との縁が切れることはなかった。

大学を卒業したあと研究生として大学に残ることになった年の4月のある日。一本の電話がかかってきた。

それは大東流の先生からの電話だった。なんと4月から縁あって東京でも教えることになったという。月に3回。しかも水曜日の午前中という普通には厳しい時間帯であったが、研究生として残っていた自分には問題なく、回数は少ないものの継続的に大東流を習えることとなったのである。

大東流は本当に面白く、素晴らしい技の数々であった。一時はずっとこの武術を続けて行きたいと考えていた。ところが、研究生が終わり、アルバイトで暮らしているまではその時間に通えていたものの、26歳で就職すると、一気に練習に参加するのが難しい状態になってしまった。有給を取ったり実家に帰ったりしてなんとか繋いでいたものの、一年に習える回数には限界があった。元々月に3回ですら少ないと感じていたのだ。大東流はやはり練習相手がいてこそである。焦りや諦めが募っていく。そんな状態で気づけば7年が過ぎていた。その時点で振り返ってみれば、まともに習えていたのは最初の2年くらいか。

それと並行するように、会社の友人が某所で中国武術を始めた。黙々と一人で套路を練る様子を羨ましく眺めつつ、心が揺らぎ始める。いっそのこと中国武術に移ってしまおうか、と。そもそも大東流も知ったきっかけは漫画の「拳児」であった。中国武術にも興味が無かったわけではない。ましてや自分は会社で「水滸伝」や「三國志」のゲームを作り、小説「紅楼夢」にもはまり、さらにその時はちょうど徳間書店から金庸小説の翻訳が出て夢中になっていた頃であった。(後に金庸先生の公式ホームページにてキャラクターの絵も描くことになる。)

ある日、とうとう一つの決断をくだした。
そして思いきって、その友人に習っている場所を尋ねたのだ。

それが中国武術へ入っていくきっかけとなったのである。

-つづく-

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