六合八法と精花太極拳

標準

前回のブログを書きながら、当時の事を思い出して色々な出来事が蘇ってきた。そして思い出せば思い出すほど、あらためて「精花太極拳」生まれる過程の、ある一つのエピソードを外してはならなかったと思うのである。

それは、精花太極拳にまだ名前もなく、ただ「シンプルな雙邊太極拳」と呼んでいた頃。

最初はふとした発想から何気なく取り掛かり始めたにもかかわらず、なぜかそれをもっともっと追求したくなる欲求を抑えきれずに、気づけば引き返せない大海原のど真ん中にいた。

今から思えばそんな感じなのだが、その時はまだ体系化などは微塵も考えておらず、ただただ、複雑に見える双辺太極拳がシンプルでわかりやすいものになっていくのを純粋に楽しんでいた頃であり、色んなことを試していた頃でもあった。

その試していた色んなことの一つに、元・兄弟子である市橋さんから築基拳を教えていただいたことへの感謝の気持ちから、ささやかなオマージュとして、一箇所だけ築基拳の雰囲気を入れ込もうとしたことがある。

しかし、そもそもが雙邊太極拳から八卦掌や形意拳の要素を抜いて純粋な太極拳に立ち戻ろうという発想であったわけなので、結局、その試みは中途半端なものになり、最初の意図とは違った形に変化していく。

ところが、それが実は精花太極拳の重要な一要素でもあり、名前の元にもなっている「花」という技&概念に繋がっていくことになるのである。

この頃には、いろんなことが繋がって、精花太極拳を編纂する意味がどんどん自分の中で明確になっていくのがわかった。

精花太極拳という名前については余談になるが、中国語でエッセンスを表す言葉が「精華」であったことも、自分にとって不思議な符合と言える。と言うのも、「シンプルな雙邊太極拳」でやりたいことの一つには、一旦余分なものを削ぎ落とすことによって太極拳のエッセンスを見極め、より太極拳の理解を深めたいという思いもあったからだ。

同時に、源流である陳式太極拳への敬意も込めて、あくまで自分のものは”太極拳のエッセンスを含んだもの”という表現にこだわっていたところもある。

そんな個人的な背景もあって、六合八法がきっかけとなって生まれてきた発想の「花」と、エッセンスの意味である「精華」は、中国的なものから日本的なものへという発想やニュアンスも加わって「精花」という名称へと帰結することとなる。

つくづく、こうした一連の流れというか、巡り合わせとは良くできているものだと思う。

直接的な繋がりではないものの、六合八法を元・兄弟子のもとで経験しなければ、「シンプルな雙邊太極拳」は、「精花太極拳」とはまた違った名称やまとまり方をしていたかもしれないと思うと、市橋さんとは違った道を歩むことにはなったが、やはり兄弟弟子としての不思議な縁を思わずにはいられない。

タイトルが「六合八法と精花太極拳」なので、ブログを読んでくださっている方の中には、我々の三拳弊習的な内容を期待させてしまったかもしれないが、こうした精神的な繋がりもまた自分にとっては大切な繋がりなのだ。

「太極拳」「形意拳」「八卦章」の三拳を一門派に収めた過程には、一朝一夕で出来上がるものではないものであるが故に、必ずやこうした段階があっただろうからだ。

技術だけを受け継ぐのが伝承ではない。そこにある「心」も受け取ってこそ、伝承であろうと強く思うのである。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA