知命

標準

論語に有名な「志学」がある。
「知命」とは、その中に出でくる言葉だ。

自分も昨年の11月で50歳になった。知命の歳だ。

前回お知らせした、2月から新しい教室が開講することに対しての意気込みというわけではないが、志学について常々思っていたことを書いてみたいと思う。

志学は、

「吾、十有五にして学を志す。
三十にして立つ。
四十にして惑わず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳順(したが)う。
七十にして心の欲する所に従えども、矩(のり)を踰(こ)えず。」

という文であり、ここから、一五歳を志学、三〇歳を而立、四〇歳を不惑、五〇歳を知命、六〇歳を耳順、七〇歳を従心と称するのである。

自分自身に照らし合わせてみれば、30代前半は自分の師を求めて模索していた歳だ。やや、本来の意味合いとは異なってしまうが、一門を構えている今、師父と出会うことでようやく自分が腰を据えて立つべきスタート地点に立ったと言えるだろう。

40代には武術の為に仕事を変えた。長年勤めていたゲーム会社を辞め、武術の時間を作るために給料は安くとも時間の自由が取れる今の福祉の仕事へと移ったのである。逆に言えば、武術をやっていなければ、「自分の絵はここまでだ」という想いは生まれてこなかったに違いない。だが、それはまさに「不惑」だ。

そして、精花太極拳が生まれ体系化された今、少しずつ教室を増やしながらこの本門の内家三拳に加えて精花太極拳を広く伝えていこうという強い想いがある。これは自分にとっては年齢といい中身といい、紛れも無い「知命」だ。

天の時。地の利。人の和。

今の自分を省みると、図らずしもそれらは自然と「知命」に向かって集約しているように感じられる。新しい教室を開いたのは、そうした想いのこもった一歩でもあった。

ところで、志学について書こうと思ったわけは、実はもう一つある。

「而立」から「知命」に至るまで、自分にとって非常に心に響き、半ば人生の指針としているわけだが「次は何だろう?」と思いながら60歳にあらためて注目すると60歳は「耳順」。

ところが、この「耳順」については、日本語だとどうにもこうにもシックリくる訳や解説がないのである。

50にして天命を知ったのに、60になると「人の言うことを素直に聞けるようになる」といった解説がほとんどで、悪く言えばたんなる聞き分けの良い老人(というか、それまでは聞き分けのない老人と言っているようなもので)、良く解釈してみても、せいぜい「言葉からその人の真意を読み取れる人」というくらいだろう。

だが、そんな境地を「志学」と言えようか。

良い解釈の方ですら、50の「天命を知る」とは、かなりの隔たりがありはしまいか?

とにかく納得がいかないのである。

だが…!

我々は「聴勁」という言葉がある事を知っている。聴勁とはザックリ説明すれば、「耳を欹(そばだ)てるが如く、微小な力やその方向を感じ取れる巧みな力」のことであるが、まさにその事を指しているのではないかと思われる。

つまり、聴勁の如くあらゆる物事の中に自然の力(法則等)の存在を感じとり、物事の意味や本質(真理)を見極めながら学んでいく事が出来る、それを「(天の声を)聞く」と表現しているのであれば、そうした考えの方が自分にとっては自然だし、しっくりくる。

天命を知ることで、あらゆる事象に天の声を聞き、「天の声に耳順う」のだ。

だから70歳で「心の欲する所に従えども、矩(のり)を踰(こ)えず」と言える境涯になっていられるのではないだろうか。

自分の今の状況を省みると、すでにもう何年にも渡って先生から教わる機会はほとんどないわけだが、では学びがそこで止まっているかというと、そうではない。

自分の練習をしては套路や基本功から学び、生徒に教えては気づきがある。学びや気づきの機会は、いつのまにか自分の周りに溢れており、教えることと学ぶことの境がなくなっているような感覚だ。

やること全てにおいて法則を知る、つまり少しずつではあるが、これは天の声を聞いている状態とは言えまいか?

…と、偉そうにこのように書くのは別に悟ってるわけではなく、むしろこれからの自分に対して背水の陣を敷いているに等しい。(笑)

「僕の前に道はない。僕の後に道は出来る」

とは、高村光太郎の「道程」という詩の一節であるが、「知命」とは、そういう境地なのかもしれない。

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