ある日の練習の後に

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心から「この門の武術で良かった」と思う瞬間がある。昨日の拝師弟子練習はまさにそのような時間であった。

拝師弟子練習は、基本的にマンツーマンで教わる事がほとんどだ。それを師父と何年にも渡って続けてきた。

今では、話の内容も、練習の内容も、毎度の事ながら本当に濃密で味わい深いものだが、不思議と教わることに「尽きる」ということがない。

三拳弊習だから覚える事も多いということもあるが、だからと言って、ただ単に3つの拳法の套路をどんどん覚えていく、というのともおよそ訳が違う。
進んで行くにしたがって三拳が密接に繋がりあい、スパイラルに高さと深みが増していく感じなのだ。

しかし、今回の感動とも感謝ともつかぬ気持ちが湧き上がるのは、そういった技術的な話によってではない。もっと根本的なこの門の武術についての話だ。

套路の中に感じる師祖父の人生哲学のようなものについては、以前にも話題にした事があるが、今回の学びによって、武術がこんなにも昇華された形でなお、武術として受け継がれてきていることに深い感銘を受けたというところであろう。そう、これこそが師祖父の武術だったのだ!

だからこそ、ここまで誇りを持って迷わずに教えることが出来た。そしてこれからは、師祖父と師父に連なる自分の武術を、より決意と心を込めて伝えていかなければならない。

今日の内容を、いつの日か、自分の後に続く者に。

そんな想いが心の中に渦巻くような、感慨深い一日であった。

掌形

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人体で最も器用で意識が行く部分はどこか?というと手(指)あろう。
つまりは、それらを含んだ掌形。そんなことも我が門の内功武術のヒントとなる。
心、意、氣、力。
上下相髄の考え方にも通ずるが、もっとも意識が行く部位を活用しない手はないだろう。

だが、師父が曰く「手(指)の形は、練功を積んできて最後に整う」とも言われていたように、掌形はその時の状態を表す全体の結果でもあり、練習においては段階にもよるが、本来的には積極的に活用すべき双方向のものだ。
そういう意味では、内功武術の成果として、指の形、掌形にどのように意が通っているかを見るのは一つの愉しみでもあり、活用においては、例えば象形拳・いわゆる動物をかたどった拳を練る場合等には、まさにスイッチのような存在にも成り得るだろう。考え方次第で色んな広がりを持つものである。

このように掌形一つとってもなかなかに味わい深いが、だからこそ、我が門の三拳「太極拳、形意拳、八卦掌」の基本となる掌形が全て、一つの形に集約された形で融合されているのも、三拳弊習というものが生み出した成果であり、最も象徴的なものであると言えるだろう。

余談だが、その形は自分が習った大東流合氣柔術の形とも似ているのが面白い。処々の理由で武術修行記は第一部で完結したままだが、大東流編でこれは書いておきたかったという内容の一つに、この「手の形」の話があった。

その話は「武術修行記 ~合気道編~」とも繋がっていて、砂泊先生の手の形について(4)で、このように書いている。
「砂泊先生の合気の手は巻き込むような通称「猫手」が有名だが、普通の合気道のように開いた形は「陽」、巻き込むような形は「陰」なのだと、手を取りながら合気の感覚と共に説明してくださった。」

そして、自分が初めて大東流の先生に技をかけていただいた時、指の形を見て思ったのだ。
「あ、これは砂泊先生の仰っていた「陽」と「陰」が結合した形だ!」と。

…話が少しそれてしまったが、今回の話でもっとも大事なこと。

三拳弊習のシステムによって生まれた我が門の掌形だが、さらに深く掘り下げれば大事なことは、技術的なことよりも先に、そもそもが「我が門の武術は”三拳の交流”によって生まれた武術である」ということだ。

そのことは、(このブログに御名前を出させていただいて恐縮だが)刀禅の小用先生のところに開門のご挨拶に伺った折、その後のやり取りの中でふと出てきた言葉であったが、我が門の掌形は、言ってみれば「三拳の交流」によって生まれた「武林皆一家」を象徴した掌形でもあるのだ。

だからこそ様々な意味で、その想いを汚すようなことがあってはならないと、あらためて深く心に刻み込む次第である。

師祖父の武術

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師祖父の武術をある程度使えるようになって思うのは、これはいわゆる格闘技の技術ではないな、ということだ。かと言って昔の戦場の技術そのままでもない。言ってみれば、ボディーガードや[金票]局といった者の技術だ。

例えば双辺太極拳の粘勁はどのように使われるか?または何のために必要か?といえば、相手を封じる為というのが一番分かり易い。では何のためにわざわざ相手を封じる必要性があるか、それはいかなる状況であろうかと思考を辿っていけば、我々の技術は、相手が突き蹴りで来ようと、暗器で襲いかかってこようと、初手から二~三手のうちには相手に貼りついて動きを封じてしまうものであると。それも相手を絡め捕るように詰将棋的に取り押さえてしまうか、動きを止めるように順々に相手の身体を壊していくように構成されているものだというところに辿り着く。
一般的な武道や格闘技とされるものが、試合のルールに合わせて形を変えていったり、もしくはルールの中で発展してきたのとは違って、ある意味、現代格闘技に対する研究はされつつも、1900年代後半という時代背景の中で育った技術がそのままの状態で受け継がれたのが我が門の武術だと言えるだろう。

そもそもがどういう技術か?ということについて「自ら知る」ということ。
それが、散打試合を経験したり、特に最近では義龍会主催の大会でST散打等で色々と技を実際に使ってみることを通して見えてきた。
自分の武術がどういうもので、どういう特徴を持ったものかがわかれば、試合においてはどうカスタマイズして、何を試すべきかも自ずと見えてくる。ST散打で技王賞やベストディフェンス賞という結果を得たのも、それはある意味、後からついてきたものだろう。
その結果はもちろん嬉しいものだが、それ以上に嬉しいのは、技がどんどん自分のものになっていく感覚や、理解が深まっていくことこそが、自分にとってはなによりだ。

ところで、自分は師祖父にはお会いしたことがない。なので師祖父とは伝えられた技を通して会話をするのみであるが、こんなにも研究・整理されているのは、普通の民間人にはやはりありえない内容であると思うというのが正直なところだ。

だが一方で、以前にも「護身の意味において、力がなく、また相手を傷つけるのが出来ないような心の持ち主が、咄嗟の緊急事態にいかに身を守るか?という難問に、師祖父が導き出した答えが込められているように自分には思えるのだ。よく護身術とは言うが、それで相手を攻撃出来る心の強さを持っているものは良い。しかし、本当に護身が必要なのはそうではない人達ではなかろうか?」と書いたように、師祖父の哲学や、弱者の味方に立つ視点を随所に感じることもまた事実だ。
だからこそ、明鏡拳舎には老若男女を問わず、また才能や体格の有無を問わずに、武術として真摯に学んでいる人達が集っている。
これが師祖父の「侠」の姿なのではなかろうか。

師祖父とは是非一度お会いして、いろいろ技について語り合ってみたいとも思うが、それが果たして叶うかどうかはわからない。

だが、自分の武術修行記を書いてあらためて思うのは、お会いする事が叶うにしろ叶わないにしろ、そこには必ず意味があるという事だ。

三拳融合と三拳弊習

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我が門の武術は、太極拳、形意拳、八卦掌の内家三拳の融合を試みられた上での、三拳弊習である。なぜわざわざ三拳をバラバラのままに残して弊習のスタイルのままにしたのか。そこが興味深いところでもあり、我が門の武術がどういうものであるかを表しているとも言える。

まずは、どのような理由からこれらの三拳をもって内家拳と呼ばれているか。例えば、単に見た目の剛柔をもって内家拳と分類したのならば、形意拳に至ってはかなり剛の風格を残すものである。それでもあえて内家拳に分類されたということは、つまりはこれらの拳種の中に共通のものを見出したからに他ならない。それが三拳を融合させようとした最初のきっかけだっただろう。

しかし、その三拳を融合した拳法が誕生することはなかった。
唯一、我々の太極拳である、双辺太極拳において、陳式や楊式、形意拳、八卦掌の要素が入っていると認識されているのみである。

振り返って、我々の太極拳、形意拳、八卦掌は三拳融合を試みられればこそ、内家拳からさらに内功武術へと共通する部分が確立されるとともに、絶対に相容れない部分。形意拳が形意拳として存在する理由、八卦掌が八卦掌として存在する理由がハッキリと見えてきた故の、三拳弊習なのだという事が言える。

したがって我々の三拳は、太極拳の中に形意拳や八卦掌が入っていれば、形意拳や八卦掌もまた同様に、太極拳や八卦掌、または太極拳や形意拳の要素を含んでいるということである。しかし、明鏡拳舎の武術を見てもらえれば分かってもらえると思うが、太極拳はいかにも太極拳、形意拳はいかにも形意拳と言った風格をもっている。
それぞれの要素を含んでいるからと言って、どれも似たり寄ったりの曖昧さがないのは、絶対に相容れない部分がハッキリしているからこそ、拳種の特徴もまたハッキリと表現しているからに他ならない。それが三拳弊習の面白いところであり、それを補っているのが融合させようとしたきっかけとなった共通部分である。

融合させようとした試みが生んだものはそれだけではない。練習方法等についても同様で、結局のところ、
「我が門の武術は、我が門の練習方法や考え方によって完成する」ということだ。

進化か?偽物か?

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中国武術につきまとう、本物か?偽物か?という議論。
果たして我が門の武術が他所や昔のものと違うのは進化なのか?それともただの創作なのか?

一つ言えることは、時代が変われば環境も変わる。周りの格闘術が進歩すれば、当然それに対処できなければならない。どんなに最新のパソコンを入手しても、4~5年後には、ただの遅いマシンに変わっている。今はそういう時代である。現代の格闘技においてコンビネーションは当たり前。ワン・ツー・ローキックが基本になるようなそんな時代に、例えば太極拳の楼膝拗歩で、ただの単発のパンチを前手で払って打つ技だと習って何になろうか。もちろん、段階練習としては単発の攻撃をしっかり捌く練習も必要だが、それで楼膝拗歩の動作の意味が全てとなってしまっては、武術としてまともに戦えるわけがない。気で倒すなんてのは論外だし、よく聞くところでは実戦では無形になるというが、では例えばボクシングや柔道の試合を見て「無形」だと思うだろうか?自分には普段練習していることを根気強く出し続けているように見える。
自分が楼膝拗歩を習った時は、古い時代の技でも現代格闘技の「ワン・ツー・ロー」を捌いて攻撃できる、そういう技なのだとして習った。もちろん用法はそれだけではない。それ以外の使い方も、目から鱗の技ばかり。それが我が門の楼膝拗歩だ。

我が門の太極拳や八卦掌や形意拳は他所のとは違う。今では自分と師父の間でも違うのもある。特に八卦掌はその解釈も風格も周りの八卦掌とは全く違った異端のものになってしまった。かと思えば形意拳については、むしろ師祖父が変えたものを一部昔の形に戻したりもした。だが、師父はそれで良いという。師父の技をそのまま受け継いでいく弟子がいれば、自分のように実戦経験や研究の積み重ねから、どんどん技や套路を変化させていく弟子もいる。少なくとも師父が受け継いだ師祖父の技は、後者のものだ。そして自分は、そんな師祖父の技を師父を通して学ぶことが出来たことを誇りに思っているし、師父がスポーツ界において確立してきた実績や解釈が加わったことは、この武術が常に進歩または変化し続けてきたことの証であろう。
いずれにせよ、先師より受け継いだものは時代の流れの中で風化させることなく、より磨き上げて次世代へ繋げていくのが本当だと思う。その結果が、進化か失伝か、本物か偽物かは、周りが評価すれば良い。