白峰会(相模原支部)・土曜クラス開講のお知らせ

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「内功武術 明鏡拳舎」の相模原支部・白峰会の土曜日クラスが、6月より開講致します。
場所は木曜日クラスと同じく城山公民館で、毎週土曜日の朝9時より行います。
健身クラスは9:00〜10:30。
武術クラスは10:35〜11:45
ですが、ペースは個人に合わせて進めるため、他の曜日をみても各自自由な時間に参加している状態です。(笑)
とにかく場所は不便なところにありますので地元近辺以外の方は難しいかと思いますが、今いる会員さんにとっては、参加の機会が増えることでより学びやすい環境が整ったのではないかと思っています。

「ホームページの公開」と「宇童会引継ぎ」のお知らせ

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先週5月13日・14日は、愛知県支部「宇童会」の合宿でした。そしてこの日をもちまして、7年半に渡って通った愛知県江南市の教室は、弟子のFさんこと藤井記代子さんへと引き継ぐこととなりました。
合宿の様子はまたあらためてお話するとして、「内功武術 明鏡拳舎」も草の根的に広がり始めた事もあって、この度ホームページを公開することと致しました。
それにより、今までのブログもホームページにひとまとめになりましたので、ブログの引越しも兼ねてお知らせ致します。

「内功武術 明鏡拳舎」公式ホームページ:
http://meikyoukensha.com/

※今までのブログはこちらのリンクから読むことが出来ますが、これまで皆様からいただいたコメントにつきましては、残念ながら移動が出来ませんでしたので事後報告になりますが御容赦申しあげます。

今後とも「内功武術 明鏡拳舎」をよろしくお願い致します。

キセキ

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“2017年4月8日の話。

愛知県のクラス「宇童会」で太極拳と八卦掌を教える為に、朝から中央道を走っていると、ラジオから3.11の震災から6年の日にあわせた特別番組の再放送が流れてきた。

ちなみに、宇童会は今年5月、つまり来月行われる合宿をもって二番弟子のFさんに引き継ぐことになっている。7年以上にわたって通った愛知県も、今回を含めて残すところあと3回。そんな事情もあってか、ラジオを聞きながら6年前の東関東大震災の日の事をしみじみと思い出していた。

あの日は「宇童会」の前日にあたっており、地震が起こった時は代官山にある映像関係の職場で会議中であった。状況が状況だったので会社は17時前に解散となったが、電車の復旧もめどが立っていなかったので、すぐさま代官山から町田の家まで歩いて帰ることにした。家に到着したのは23時30分過ぎ。家の無事を確認すると、翌朝早くに通行止の東名高速を避け、この中央高速で愛知県へと向かったものだった。翌々日には東名高速で帰って来ることが出来たが、後にも先にもあんなにガラガラの東名高速は見たことがなかった。

そんな想いにふけっていると、ラジオからは津波で被害にあった岩手県大船渡市出身という女性歌手の歌が流れてきた。その澄んだ綺麗な歌声と、「キセキ」というまっすぐで素朴な曲調にフッと心惹かれて思わず聴き入ってしまう。余韻に浸りながら、ふと、我に返って目の前にあるインフォメーションを見ると何やらいつもなら見るはずのない地名が。「やってしまった!」
そう、歌や番組の内容に、聴き入っている間に、うっかり小牧インターで降り損なってしまったのだ。

仕方なく次の一宮で降りる事にしたが、一宮は以前、仕事で長期出張で来ていた西春の近くだった。その長期出張がきっかけで、この宇童会も生まれたのだ。インフォメーションには西春の文字も見えて懐かしさが込み上げてくることもあり「まあ、いいか」と気を取り直すのだが、ここでまさかの二度目のミス!なんとカーナビを見るタイミングが変なタイミングでズレてしまい、遠回りの道に入ってしまったのであ
る。

「なんてこった」と思いながら、カーナビを見直す。目的地は宿泊先の「すいとぴあ江南」であったが、通るルートを見てその時、ハッと気づいた。このルートは、亡くなった一番弟子の加藤ひとみさんと初めて出会った公園の近くを通るルートだ!

込み上げてくる想いを噛み締めながら道を走らせていくと、次には弟子が入院していた江南厚生病院の脇を通り過ぎる。その病室の窓からは宿泊先の「すいとぴあ江南」も見えた。すいとぴあ江南は宇童会の合宿も行なっている場所で、合宿に参加するのを楽しみにしていた弟子だったが、亡くなったのはちょうど合宿前日だった。その数日前には「すいとぴあ江南が朝日に光っています」とだけ書かれたメールが届いていた。それが弟子から届いた最期のメールだった。いったいどんな思いで病室からすいとぴあ江南を眺めていた事だろう。

ようやくすいとぴあ江南に到着した時には、車で所縁ある地を辿りながら、まるで弟子との出会いから宇童会の今までを振り返ってきた気分だった。

途中、このきっかけを作ってくれた歌が気になって調べてみたら、歌の内容からてっきり「奇跡」というタイトルだと思っていたのだが、実際には片仮名で「キセキ」だった。キセキは自分にとってはまさに「軌跡」だ。そう、今まで一番弟子の加藤ひとみさんと共に作り上げてきた宇童会を全て二番弟子のFさんに引き継ぐに当たって、こうした形で宇童会の「軌跡」を一緒に振り返りながら言葉にならない気持ちを伝えようとしてくれた、そんな風に思えてならなかった。

そして…

「キセキ」の歌を購入して改めてよく聴いてみれば、一番最初の出だしの歌詞は「ひとみが見えること」だった。一番弟子の名前「ひとみ」さんの名が、そこにあった。

you tube:濱守栄子「キセキ」 ”

学生と拝師弟子の報告 ~一年の歩みに変えて~

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このブログを立ち上げる前から恒例の、今年一年の振り返りです。
2015年は、5月8日に開門弟子である加藤ひとみさんが永眠され、内功武術 明鏡拳舎にとって、大きな大きな悲しみに襲われた年でありました。
明鏡拳舎の学生や拝師弟子はただ一人、学生K.Fさんだけとなりましたが、生徒の皆さんも様々な形で会に協力してくださり、学生のK.Fさんも本当に一生懸命になって、会を支えてくれました。
そして年の暮を迎えてみれば、生徒の皆さんの一段と成長した姿を喜ぶとともに、新たな学生と拝師弟子を迎え入れることが出来ましたことを、ここにご報告させていただきます。
まずは、師父の主催している極峰拳社から正式に明鏡拳舎に移籍した私の実の妹が、2015年12月16日をもちまして、加藤ひとみさん、K.Fさんに次いで、新たに3人目の学生として加わりました。
妹は、今年11月3日に開催された廣瀬義龍先生の主催する散打大会においては、女子の散打部門で3位の成績を収めております。
もっとも、師父の極峰拳社に在籍中には、準優勝した事もありますので、移籍して結果を出すということにおいては、まだまだこれからといったところでしょう。来年はしっかりと身を結ぶことを期待したいところです。
そしてもう一人。年末も押し迫ったつい先日の12月29日をもちまして、学生のK.Fさんを二人目の拝師弟子として、内功武術 明鏡拳舎に迎え入れることとしました。
K.Fさんは、一般生徒として4年2か月。学生として1年と1ヶ月少し。合わせて5年3ヶ月という月日を学んできました。それを長いと見るか、それとも短いと見るかは人それぞれあるかと思いますが、どちらにしても修行はずっと続いていきます。
学生や拝師弟子については、我が門においては「この武術で必要なものは、真摯な気持ちだけ」という言葉があるように、決して技術的な才能や格闘技的な強さという事だけで選ぶものではなく、人間性を見て伝えるべき人に伝えていくというスタンスですし、自分はそれを愚直に信じて貫いていこうと思っています。
パラドックス的ではあるのですが、そうでなければ繊細なこの内功武術の技術は伝わっていかないでしょうし、その真の価値を見出すことも難しいでしょう。結局は門を、そしてこの技術体系を、どれだけ大切にするかという姿勢こそが確かなものを形作ってくれるわけで、そういう意味では、結果的に明鏡拳舎の学生や拝師弟子がここまで3人共が女性であるということも、何か象徴的にも感じます。
このブログを書いている現在、今年ももう僅かとなりましたが、今年一年の様々な出来事を通して、自分自身、たくさんの大切なことを学んだように思います。
開門弟子の生きる姿とその死から学んだ事。学生試験や拝師弟子を受け入れる事を通して自分自身を見つめ直す事。そして、尊敬する師祖父から弟子の死を通して初めて御言葉をいただいたことは、自分の人生観を大きく変えたようにも感じています。
この学び多き一年に、心からの感謝を込めて。

嬉しい日

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先々週の日曜日は嬉しい日であった。

それは、初めて弟子が教えている生徒に会うことが出来たからだ。
そして弟子が教えた太極拳をその生徒さんが打つ姿を見ることは、こんなにも嬉しいものなのかと、しみじみ感じ入った日であった。

もっとも、弟子のH.Kさんには正式な教練資格を与えているわけではないが、これには理由がある。

昨年の秋からの事だが、教室には参加出来ない方の為の別枠として、H.Kさんが教授代理として新たに教室を開く事を許可した。そこで習っているお二方は母娘で、喫茶店を経営している関係でどうしても時間が取れない事もあったが、もう一つの大きな理由として、娘さんの方は目が見えなかったのだ。全盲で光すら感じる事が出来ない。

つまり一生、先生の套路を見る事も出来なければ、自分がどういう姿をしているか確認する事すら出来ない。「学ぶ」という言葉は「真似ぶ」から来ているが、同時に様々な部分が連動して動く太極拳を、その学習の最も基本と言える「見て真似をする」という事が全くもって出来ないという事は、かなりの試行錯誤や工夫を余儀無くされるのは想像に難くないだろう。

H.Kさんは今までにも、療養先のサナトリウムで院長先生の奥様に請われて教えたり、やはり療養に来ていた作家でもあり監督経験もある才能溢れる女優さんを含め、短期間ではあるものの幾人かを教えたりすることになった時もあった。

その時も自分は自信を持って任せる事ができたし、お二人についての話を伺った時も、全盲という自分自身も未体験の難しさを思いながらも、やはりH.Kさんなら大丈夫だと信頼する事が出来た。H.Kさんには時に人一倍厳しく要求しながら、お互い真摯にこの武術に向きあってきた日々の積み重ねが、それを絶対的なものに感じさせてくれる。

教えるという事については、自分自身でも経験している事だが、いざ、この武術を教えるとなると不思議な事に次から次へと教える事が浮かびあがってきて、教える事に困る事がない。また、時と状況に応じて様々に工夫するだけの理解が備わっている事にもあらためて気づく。

むしろ教えれば教える程様々な気づきがあり、こんなにもたくさんのものを自分は習っていたのだと、振り返るのだ。

実際に自分が会ってみるまでに、H.Kさんから聞く新しい教室の様子は、実に興味深いものであった。

我々が大事にしている「まず自分の身体を感じる」ということ。それがまさに、教えた事に対して娘さんから帰ってくるリアクションや言葉は、「感じる」という事の純度の極みと言えるものであった。ナチュラルに出てくる感想が、まるで内功武術の核心部分について話をしているかのようでもあり、一言一言が実に豊かな内容に溢れていた。

H.Kさんが、工夫しながら確かなものを教えている様子が、その内容から活き活きと伝わってくるようだった。

そしてとうとう、初めてお二人の套路を見せてもらったわけだが、目の見えない娘さんが伸び伸びと太極拳を打つ姿に、どれ程感動を覚えた事だろう。それはまさに明鏡拳舎の太極拳であり、同時に、弟子の太極拳であった。

一回一回に進めるのは、ほんの僅かだ。身体にあちこち触れてもらったり、手で導いたりして、全体像を頭の中に構築してもらって、初めて次に進める事が出来る。

まだまだ最初の方の7勢だけではあったものの、ここまでに至る弟子の工夫と、真摯に教える気持ちが、その姿に込められていた。

我々の太極拳とは何か。
その問いに対する答えが、ここにある気がした。
あくまで武術として教え、武術として磨いていく。
そこに「義」がある。

我々の武術には、段や級もなければ、賞とも無縁のものだ。

だが、もっとも大切なものがここにはある。

歩み(新年のご挨拶にかえて)

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2013年。

12月28日
極峰拳社・ 張紫雲師父より
張氏門内功武術の「師範」を拝受

2014年。

3月8日 「内功武術 明鏡拳舎」を開門。

そして、

1月18日 H.Kさん 学生(一人目)
7月20日 H.Kさん 拝師弟子(開門弟子)
11月8日 K.Fさん 学生(二人目)

開門したその年に、1人の拝師弟子と1人の学生を得た。恵まれた師であると思う。

二人目の学生となったK.Fさんについては、学生試験に一ヶ月を費やした。その間、双方合わせて15通以上にのぼるメールのやり取りもしている。
四年前にこの武術に出会うまで、全く武術や武道といったものに縁がなかった方が、武術の門を目指そうというのだ。厳しい試験だったと思うが、試験期間も合わせてここ三ヶ月の間に、かなりの成長を感じられるのが嬉しい。

拝師弟子のH.Kさんについては、肺の癌が消えたものの、手術の後遺症による腎不全で入院、手術となりながら、再び不屈の精神で回復し、一昨日の三十日の夜には、病室にて練習再開のメールをいただいた。その前の二十七日・二十八日と、病室で座学をした時には既に元気になられていて、「来年がいよいよ愉しみになった。」という話をしながらこの新年を迎える。

2015年。

新たな年の幕開けである。

特に昨年は皆に「変化」を感じた年であった。

もちろん、自分自身にとっても大きな大きな節目の年であった。

昨年を一言で表すと「転」の年であったと思う。それで言うならば、今年は一つの結果が顕れる年であり、新しい始まりとなる年にも違いない。

今年はここに何を記す事が出来るだろうか。
一歩一歩、歩んでいくその一歩は、どんな一歩になるだろうか。

そんな愉しみを感じながら、新年の朝日を待っている。

愛知県教室の99回目と99勢

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今日で、愛知県の教室である宇童会が100回目を迎える。
つまり愛知県の教室を立ち上げてから、前回ですでに東京-愛知の間を99往復したということだ。

我々にとって「99」は意義深い数字である。
なぜなら我が門の太極拳は99勢。
当然、我々としては100回記念よりも99回でこそお祝いとしたいところだ。

そんなわけで前回は、生徒達の自らの企画として、
99回目の教室にて「生徒たちによる99勢」の表演会が行われたのである。

99回を一度も休まずに通った自分に対して「先生への感謝の気持ちとして」ということで、
弟子を中心に、それぞれの生活の中で時間に都合をつけながら練習を重ねての表演であった。

生徒達による99勢。
本来なら記念に写真に撮っておきたいところであったが、目を離すのがもったいなくてそれは出来なかった。

なにより、自分への感謝の気持ちとしてということで、それぞれが、それぞれの想いで打ってくれた太極拳を、受け止めるのだけでいっぱいいっぱいであった。

始めたばかりの頃は、月一回のペースで、太極拳の「た」の字も知らないような人達が、こんな大勢で99勢を覚える日が来ようとは、正直、想像だにしなかったといってよい。(途中で月に二回になったものの、密度は上がっても覚えるペースが極端に変わるわけではない。)

それが月日を重ねてきた今、一人一人が自分にとってのかけがえのない生徒だ。

99勢は長い。
長いからこそ、それを修めるには幾多の試練や出来事にさらされ、
辞める理由はいくらでも見つかったとしても、学び続けることは本当に難しい。

しかし、長いからこそ同時に、学び終えた時には理解も一段深いところにある。
そして、それぞれの中に、一人一人の太極拳がある。

師父から受け継ぎ、自分もまた練磨して伝えた、師祖父の独特の理論と風格を持った太極拳。
この味わいは、この武術を守り伝えるものにしかわからない。

99は99歳を白寿と言うように、百からーを取ると「白」。
99回で今までの区切りをつけるとともに心をまっさら(白)にして初心に帰り、
100回では新たな気持ちで再びスタートを切ることができる。
なんとも良いリズムだ。

最近の様子としては、半分近くのメンバーが套路を一通り覚えたこともあって、
再び最初からより詳細な説明や解説に入ってからというもの、さらに一段と皆の表情が変わってきた。
段階が進めば進むほど面白い。そう、本当の学びはここからだ。

どんなに遠い道でも、どんなに困難な道であっても、必ず一歩目を踏み出すところから始まる。
歩みの一歩一歩は小さく微々たるものでも、一歩ごとに見える景色があり、聞える音があり、
積み重なればこうして99という数字にもなる。

そして、99から100へ至るのも同じ一歩。

今日もまた2時間後には、愛知県に向けて車を走らせているところだろう。(笑)

開門弟子のご報告

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一昨日、2014年7月20日。
「内功武術 明鏡拳舎」にて、初の収徒拝師式が行われました。

最近、「成長」のタイトルで数回にわたって綴ってきたその学生こそが、明鏡拳舎の開門弟子となりましたことを、ここにご報告致します。

見證人には、私の師父と弟弟子が。主持人には私達の時と同様に師父の義兄に務めていただいて、心に染み入るようなおごそかな収徒拝師式を行うことが出来たことを、深く感謝しております。

我々は、套路といういわゆる型というものを通して先人の知恵や工夫の詰まった叡智を学ぶわけですが、収徒拝師式という形があるからこそ、そこに関わる人々や先人の心や想いが、そこに込められるのだと深く感じます。

そのような積み重ねに畏敬の念を覚えるとともに、このような素晴らしい弟子に巡り会えたことに、それを師父をはじめとして皆で祝っていただけたことに、全てに感謝致します。

宇野道夫 拝

ブログの意義

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先週の土日はブログを始めてから初の愛知県での教室だったわけたが、その後の食事をしながらの座学では、明鏡拳舎でただ一人の正式な学生からのたくさんの質問が待っていた。(笑)
9本分のブログの記事の内容について、質問をあらかじめまとめてあったのだそうだ。
その一つ一つについて、詳細に具体的な技術の話も交えながら、説明と解説を加えていく。なんとも言えぬこころ愉しい時間である。
我が門の武術についてなんの気兼ねもせずに、存分に内容を語ることが出来ること、またそうやって伝えるべき人間がいるということは幸せな事だ。ブログで書けることは限られているし、武術はやはり人から人へと伝えていくものだ。明鏡拳舎としてのブログを書くのも、一つには自分の成長の為、一つには生徒の学びの為でもあり、それを外しては意味がない。

ところで、愛知県の教室では毎回感想のメールをいただく。別に強制ではないし、その時々で書きたい方だけが送ってくれるもので大体いつも10通前後になるのだが、それに対して一人一人に返信を書いて感想と共にまとめたものを、みんなで会報メールとして共有するということを、最初の第一回から今まで5年近く続けてきた。
きっかけは、初回の教室が終わって東京に戻ると、数日後にまとめ役であり現在の学生でもあるHさんが、皆さんからの感想部分を転送してくれたことだった。せっかくいただいた感想だからと思い、Hさんに全員への返信をまとめて送ると、毎回それが繰り返されるというを重ねていくうちに、自然と形が出来上がっていた。そこには、交通費を割り勘で出してもらっている分を何らかの形で報いたいということや、月に一回の教室では説明しきれなかったり、個人個人を見る時間が少ない分を補うために、また、他の人へのアドバイスを読んで、それを各自が活かせるようにという思いが込められて、徐々にその役割は大きくなってきた。そして、月に二回のペースになった今もそれは続いている。
そんなわけで、先週、教室があったので、今週はずっとその返信を書いている。5年近くも続けていると、皆さんからいただく感想の内容も随分と変わってきたのを感じる。もちろん、それに対する自分の返信も、かなり詳細なところまで書くようになっている。
今ではその蓄積が自分と生徒との交流の歴史であり、成長の記録でもある。

そういった状況でブログを始めたのは、「内功武術 明鏡拳舎」を開門したこともあり、ホームページ替わりに、自分の経験を通して構築してきたものをまとめる場としてブログを作るのも面白いだろうと思いたったわけである。
これも、ずっと返信という形を通して、自分の武術を言葉にし続けたからこそ、逆に書こうと思い立つ事が出来たのかもしれない。
ブログならば、武術に対する自分の考えを素直に発信することも出来る。

そして今回のように、それを通して生徒や学生と充実した座学の時間が持てることは、ブログ自体がそのまま「内功武術 明鏡拳舎」であればこそだ。