新・武術修行記 〜水戸鍛錬会〜

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宇童会を引き継ぐことを決断したのは、昨年の始めのこと。最後の総まとめとして区切りとなる今年の5月まではメールの返信の中での指導なども含めて宇童会にこそ全精力を注いできた状態だったが、その間にも自身にとって大事な出来事が幾つか存在する。

まずは「水戸の鍛錬会」での自身初の試し斬りがその一つである。

今回のブログの内容については、なにしろ去年の出来事であるし、タイトルもどうつけたものかと悩んだのだが、ふと「新・武術修行記」という文字が浮かんだ。そうだ、これは今の自分の心境にぴったりだ!

水戸鍛錬会の様子は以前にフェイスブックにも簡単にアップしたのであるが、修行記として改めてその時のとこを振り返ってみたい。

きっかけは、雑誌「秘伝」などにも時々登場されている祖父江さん(「先生」とお呼びしたいところですが、そう呼ばれるのを嫌っていらっしゃるのであえてこう書かせていただいてます)から、以前からの知り合いという事もあってお声掛けいただきこの貴重な機会を得たわけであるが、これで何よりありがたかったことは「はたして自分は古流の剣術の学んだこともあったし、今もまた中国武術の刀や剣も行うが、果たして自分の太刀筋は実際に物が斬れるものであるのか?」その疑問を検証する良い機会をいただくことが出来たことである。

結果として、幸いにも普段練習しながらイメージしていた刃筋は実際においても通っていたいたようで、思いの外スンナリと斬ることは出来た。ただその中で最初に感じたのは、自分が想定していた一刀流剣術の振り方と斬った時の距離感には若干のズレがあったこと。そうした気づきも実際に体験してみればこそだ。その距離感のズレは比較的すぐに調整出来たし、定着させるには少し時間を必要とするだろうが、少なくとも自分が習い教えているものは、すぐに斬るに堪えるものであったという検証を得たことは、やはり今後の指導にも繋がっていくだろう。

ところで、自分にとっての今回のテーマは単に刀でモノを斬ってみるというのではなく、あくまで「普段の動きそのままで斬れるかどうか?」の検証であった。

古流剣術の動きでは、素振りでも常々「空気を斬る」ということが大事なポイントであったし、それが出来た時と出来ない時では明確な違いがあるのでそれなりにいけるのではというか予感も持っていた。

だが、中国武術式の斬り方…というより中国武術式の身体遣いで、重い刀を片手で受けの動作から斬りこむといった一連の繋がるような動作の中で、どの程度しっかりと斬ることが出来るのかというのは、自分の中で是非とも検証しておきたいことでもあった。

その時の様子が以下の動画である。

刃筋を立てるということのイメージが、自分の中で間違っていなかったことは、これで確信を持つことが出来た。

また、この時別に撮ったもう一つの動画は古流剣術のスタイルのものだが、祖父江さんから「実際に相手の攻撃を受けてから斬るというのは格段に難度が上がる」と教えをいただき行った時のものである。

祖父江さんの裂帛の気合いに力を導き出された形で咄嗟に出た技は、受けた後の短い距離での逆袈裟斬りという難しいものであったが、自分でも渾身の一斬を経験する事が出来た。

余談ながら、このときの自分を客観的に見ると、古流剣術の構えを取りながらもかなり形意拳のエッセンスが構えに入り込んでいるのがわかる。
そして行っている技の流れとしては、八卦掌の刀術にある単換刀に近く、短い距離での斬撃は形意拳の発勁に近い。

普段の練習ではむしろ三拳を明確に分けて練習するし、組み合わせる練習などする事もないが、しかし咄嗟の時にはそれぞれの要素が自然と発揮されていたというのは実に面白い経験であったし、この経験はきっと今後大きく生きて来るだろうと思うのである。

こうして成長の機会をいただいた祖父江さんには、深く感謝申し上げます。
 

宇童会〜名称の由来〜

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5月の合宿をもって、弟子に引き継いだ愛知県支部の宇童会だが、第一回目が行われたのは、2009年11月28日だった。
初めは月に一度開催だったものが、月二回に増え、土日を利用することで太極拳クラスだけでなく、八卦掌クラスも出来た。それから7年半の年月が流れ、あわせると地球を三周するよりも長い距離を、自ら運転しながら通い続けてきたのだった。

初めての教室のあとには参加者の皆さんから感想が届き、自分もそれが嬉しくてその感想一人一人に全て返信を書いたのがきっかけで、以来、皆からの感想に一人一人に返信をつけて、それを「宇童会便り」として皆で共有するということもあわせて続けてきた。

月に一・二回の教室では、どうしても説明が行き届かないことがあったりするし、一人一人への指導も薄くなってしまう。宇童会便りはそうしたことの補足にもなったし、また、東京から通うために交通費の分が別にかかってしまうことに何かの形で報いたいという気持ちもあったと思う。

宇童会便りは、一通につき平均三通くらいの感想と返信が乗る。最後の返信を書き終えた時は、宇童会便りも620通にのぼっていた。平均三通としてざっと1800程度の返信を書いたことになる。

初めは簡単なやり取りであった返信も、徐々に内容は長く濃いものに変わっていった。それに全て返信を書くのは確かに大変なことでもあったのだが、それを通して自分もまたどれだけ思考力が養われたか、その経験と副産物的な効用は計り知れない。

しかし、そうした宇童会便りも含めて自分のやるべきことは「やりきった」と思えるからこそ、今こうして安心して二番弟子に後を任せることが出来るし、生徒一人一人を信頼することが出来るからこそ、自分もまた次のステージに挑戦すべきなのだということもわかる。

宇童会を教えながら、自分がどれほど大きなものを学んだか。

振り返れば、「宇童会」の名は亡くなった開門弟子と師父とのメールのやり取りの中で生まれてきたものだった。

抜粋にはなるが、後でいただいたそのやり取りを紹介すると、

◆◆◆◆◆
> それで、今日はすぐに練習場を予約してきたのですが、
> その際にグループ名の登録が必要とのことで
> とっさに「極峰拳尾張の会」と書いてまいりましたが、
> 登録しなおしもできますので、よい名がございましたら
> ご教示くださいませ。

もともと宇野さんと加藤さんのご縁で生まれた会です。
お二人にちなんだ名称が望ましいです。

極峰拳社は私の師父、張榮明老師が名付けてくださったものです。
張榮明老師の師父、すなわち私の師祖父である陳泮嶺老師は
字(あざな)を俊峰といいました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B3%E6%B3%AE%E5%B6%BA

張榮明老師曰く、

>道家縁の聖地、湖北省武当山に秀峰「天柱峰」あり。
>遠く山の頂を望み、その峰の高みを目指すがごとく、
>陳俊峰師祖の到達された境地、武の最高峰を極めんと集いし者よ、
>道は遠く険しくとも、その志しを忘れることなく精進し、
>武功の成るを以って師祖の英霊に報い給え。
>霊峰は厳然とそびえ立ち、諸君を遥かに見守っている。
>ここに志しを同じくする者の学びの場を「極峰」(jifeng)と命名す。

とあり、師祖父の「俊峰」、私の「遠山」、「太極拳」にちなみ、
武術の志をからめて命名されたわけです。

高遠瞳、偶然にも
極峰の名の由来の中にある「最高峰を遠くに望み、極めんとす」が含まれています。
これまた偶然ですが、遠山という姓は加藤から分かれて生まれた姓でもあります。
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/toyama_k.html

ちょっとした連想ですが「瞳」=ひとみ=一三=13=十三は、太極拳の基本構造を表す数字。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E4%B8%89%E5%8B%A2

こうしてみると、加藤ひとみ=高遠瞳 はそもそも極峰拳社に縁のある名前だったと思えます。

一方、宇野の「宇」は「宇宙」の宇。
宇宙という単語は、漢の淮南子という書物に登場し、
「宇」は「天地四方上下」(=上下前後左右の六方向、三次元空間)
「宙」は「往古来今」(=現在過去未来、時間)を表し、
すなわち「宇宙」とは時空=宇宙を表します。
従って宇野には空間の広がりを示す意味があるのです。

加藤さんが記事に書かれた

>太極拳の動きは球体が360度開かれた空間に動いていき、
>らせんがつながっていくような豊かさがあった。

というご感想には、宇野に通じるものがあります。

漢字の瞳の字の童は本来、貫き通した穴を指し、瞳=目に開いた穴を意味します。
その穴を通過する=貫くのは光。
閉じた眼球内の限られた空間に、無限に広がる外界の光が差し込んで像を結びます。
そこで、宇野の宇、瞳の童を用いて「宇童会」といたしましょう。
『瞳の奥に豊かな光を結ぶ人の集まり』になっていただきますように。
宇童=宇野さんの生徒という単純な意味も含みます。
拳社内での正式な名称は「極峰拳社健身班 宇童会」ですが、
みなさんの通称や地元への届出は「太極拳宇童会」「宇童会」で結構です。

> 超初心者の小さなグループが尾張の地に産声をあげます。
> うまく育つかどうか、皆目わかりませんが、
> どうぞお心にかけていただきまして、育っていけますよう
> ご指導、ご配慮のほど、よろしくお願い申し上げます。

もちろん、私も宇野も時々教えにまいりますが、
皆さんが最低週1度は自主的に集まって練習していただければ幸いです。
◆◆◆◆◆
と。

宇童会の名前にはこうした思いが込められている。

今では「内功武術 明鏡拳舎・宇童会」となったが、それが宇童会の歩みでもある。

今の自分があるのは、本当にこうした素晴らしい師父と弟子のお陰なのだと、あらためて感謝の気持ちが湧いてくるのである。

白峰会(相模原支部)・土曜クラス開講のお知らせ

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「内功武術 明鏡拳舎」の相模原支部・白峰会の土曜日クラスが、6月より開講致します。
場所は木曜日クラスと同じく城山公民館で、毎週土曜日の朝9時より行います。
健身クラスは9:00〜10:30。
武術クラスは10:35〜11:45
ですが、ペースは個人に合わせて進めるため、他の曜日をみても各自自由な時間に参加している状態です。(笑)
とにかく場所は不便なところにありますので地元近辺以外の方は難しいかと思いますが、今いる会員さんにとっては、参加の機会が増えることでより学びやすい環境が整ったのではないかと思っています。

「ホームページの公開」と「宇童会引継ぎ」のお知らせ

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先週5月13日・14日は、愛知県支部「宇童会」の合宿でした。そしてこの日をもちまして、7年半に渡って通った愛知県江南市の教室は、弟子のFさんこと藤井記代子さんへと引き継ぐこととなりました。
合宿の様子はまたあらためてお話するとして、「内功武術 明鏡拳舎」も草の根的に広がり始めた事もあって、この度ホームページを公開することと致しました。
それにより、今までのブログもホームページにひとまとめになりましたので、ブログの引越しも兼ねてお知らせ致します。

「内功武術 明鏡拳舎」公式ホームページ:
http://meikyoukensha.com/

※今までのブログはこちらのリンクから読むことが出来ますが、これまで皆様からいただいたコメントにつきましては、残念ながら移動が出来ませんでしたので事後報告になりますが御容赦申しあげます。

今後とも「内功武術 明鏡拳舎」をよろしくお願い致します。

キセキ

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“2017年4月8日の話。

愛知県のクラス「宇童会」で太極拳と八卦掌を教える為に、朝から中央道を走っていると、ラジオから3.11の震災から6年の日にあわせた特別番組の再放送が流れてきた。

ちなみに、宇童会は今年5月、つまり来月行われる合宿をもって二番弟子のFさんに引き継ぐことになっている。7年以上にわたって通った愛知県も、今回を含めて残すところあと3回。そんな事情もあってか、ラジオを聞きながら6年前の東関東大震災の日の事をしみじみと思い出していた。

あの日は「宇童会」の前日にあたっており、地震が起こった時は代官山にある映像関係の職場で会議中であった。状況が状況だったので会社は17時前に解散となったが、電車の復旧もめどが立っていなかったので、すぐさま代官山から町田の家まで歩いて帰ることにした。家に到着したのは23時30分過ぎ。家の無事を確認すると、翌朝早くに通行止の東名高速を避け、この中央高速で愛知県へと向かったものだった。翌々日には東名高速で帰って来ることが出来たが、後にも先にもあんなにガラガラの東名高速は見たことがなかった。

そんな想いにふけっていると、ラジオからは津波で被害にあった岩手県大船渡市出身という女性歌手の歌が流れてきた。その澄んだ綺麗な歌声と、「キセキ」というまっすぐで素朴な曲調にフッと心惹かれて思わず聴き入ってしまう。余韻に浸りながら、ふと、我に返って目の前にあるインフォメーションを見ると何やらいつもなら見るはずのない地名が。「やってしまった!」
そう、歌や番組の内容に、聴き入っている間に、うっかり小牧インターで降り損なってしまったのだ。

仕方なく次の一宮で降りる事にしたが、一宮は以前、仕事で長期出張で来ていた西春の近くだった。その長期出張がきっかけで、この宇童会も生まれたのだ。インフォメーションには西春の文字も見えて懐かしさが込み上げてくることもあり「まあ、いいか」と気を取り直すのだが、ここでまさかの二度目のミス!なんとカーナビを見るタイミングが変なタイミングでズレてしまい、遠回りの道に入ってしまったのであ
る。

「なんてこった」と思いながら、カーナビを見直す。目的地は宿泊先の「すいとぴあ江南」であったが、通るルートを見てその時、ハッと気づいた。このルートは、亡くなった一番弟子の加藤ひとみさんと初めて出会った公園の近くを通るルートだ!

込み上げてくる想いを噛み締めながら道を走らせていくと、次には弟子が入院していた江南厚生病院の脇を通り過ぎる。その病室の窓からは宿泊先の「すいとぴあ江南」も見えた。すいとぴあ江南は宇童会の合宿も行なっている場所で、合宿に参加するのを楽しみにしていた弟子だったが、亡くなったのはちょうど合宿前日だった。その数日前には「すいとぴあ江南が朝日に光っています」とだけ書かれたメールが届いていた。それが弟子から届いた最期のメールだった。いったいどんな思いで病室からすいとぴあ江南を眺めていた事だろう。

ようやくすいとぴあ江南に到着した時には、車で所縁ある地を辿りながら、まるで弟子との出会いから宇童会の今までを振り返ってきた気分だった。

途中、このきっかけを作ってくれた歌が気になって調べてみたら、歌の内容からてっきり「奇跡」というタイトルだと思っていたのだが、実際には片仮名で「キセキ」だった。キセキは自分にとってはまさに「軌跡」だ。そう、今まで一番弟子の加藤ひとみさんと共に作り上げてきた宇童会を全て二番弟子のFさんに引き継ぐに当たって、こうした形で宇童会の「軌跡」を一緒に振り返りながら言葉にならない気持ちを伝えようとしてくれた、そんな風に思えてならなかった。

そして…

「キセキ」の歌を購入して改めてよく聴いてみれば、一番最初の出だしの歌詞は「ひとみが見えること」だった。一番弟子の名前「ひとみ」さんの名が、そこにあった。

you tube:濱守栄子「キセキ」 ”

学生と拝師弟子の報告 ~一年の歩みに変えて~

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このブログを立ち上げる前から恒例の、今年一年の振り返りです。
2015年は、5月8日に開門弟子である加藤ひとみさんが永眠され、内功武術 明鏡拳舎にとって、大きな大きな悲しみに襲われた年でありました。
明鏡拳舎の学生や拝師弟子はただ一人、学生K.Fさんだけとなりましたが、生徒の皆さんも様々な形で会に協力してくださり、学生のK.Fさんも本当に一生懸命になって、会を支えてくれました。
そして年の暮を迎えてみれば、生徒の皆さんの一段と成長した姿を喜ぶとともに、新たな学生と拝師弟子を迎え入れることが出来ましたことを、ここにご報告させていただきます。
まずは、師父の主催している極峰拳社から正式に明鏡拳舎に移籍した私の実の妹が、2015年12月16日をもちまして、加藤ひとみさん、K.Fさんに次いで、新たに3人目の学生として加わりました。
妹は、今年11月3日に開催された廣瀬義龍先生の主催する散打大会においては、女子の散打部門で3位の成績を収めております。
もっとも、師父の極峰拳社に在籍中には、準優勝した事もありますので、移籍して結果を出すということにおいては、まだまだこれからといったところでしょう。来年はしっかりと身を結ぶことを期待したいところです。
そしてもう一人。年末も押し迫ったつい先日の12月29日をもちまして、学生のK.Fさんを二人目の拝師弟子として、内功武術 明鏡拳舎に迎え入れることとしました。
K.Fさんは、一般生徒として4年2か月。学生として1年と1ヶ月少し。合わせて5年3ヶ月という月日を学んできました。それを長いと見るか、それとも短いと見るかは人それぞれあるかと思いますが、どちらにしても修行はずっと続いていきます。
学生や拝師弟子については、我が門においては「この武術で必要なものは、真摯な気持ちだけ」という言葉があるように、決して技術的な才能や格闘技的な強さという事だけで選ぶものではなく、人間性を見て伝えるべき人に伝えていくというスタンスですし、自分はそれを愚直に信じて貫いていこうと思っています。
パラドックス的ではあるのですが、そうでなければ繊細なこの内功武術の技術は伝わっていかないでしょうし、その真の価値を見出すことも難しいでしょう。結局は門を、そしてこの技術体系を、どれだけ大切にするかという姿勢こそが確かなものを形作ってくれるわけで、そういう意味では、結果的に明鏡拳舎の学生や拝師弟子がここまで3人共が女性であるということも、何か象徴的にも感じます。
このブログを書いている現在、今年ももう僅かとなりましたが、今年一年の様々な出来事を通して、自分自身、たくさんの大切なことを学んだように思います。
開門弟子の生きる姿とその死から学んだ事。学生試験や拝師弟子を受け入れる事を通して自分自身を見つめ直す事。そして、尊敬する師祖父から弟子の死を通して初めて御言葉をいただいたことは、自分の人生観を大きく変えたようにも感じています。
この学び多き一年に、心からの感謝を込めて。

二つの太極拳

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最近、もう一つの太極拳にはまっている。
一つはもちろん我々の双辺太極拳だ。
陳式、楊式、呉式を研究された陳pan嶺先生が、形意拳・八卦掌の要素を加味して創始し、張榮明師祖父がそれぞれの要素をより際立たせた形で新たに編纂した、自分が本当に素晴らしいと惚れ込んだ太極拳である。
ではもう一つの太極拳とは、なにか。
もしかしたら他派のものか?というと、そうではない。
最近、ハマっている太極拳。それは、あえて「八卦掌と形意拳の要素を抜いた双辺太極拳」なのである。
このブログを始めたときは、確かに形意拳と八卦掌については、より純度を追求していくというスタンスであったが(注:それは三拳融合を試みられた中で絶対的に混じり合わないものがあり、その混じり合わない要素をその拳法のオリジナリティと捉え、それらによって構成されていると言う意味で)、太極拳だけは三拳が含まれていることこそ双辺太極拳の特徴であると思っていたし、そこに独自性や誇りと感じていればこそ、形意・八卦の要素を抜くと言う発想は全くなかったといってよい。
ところが、
「八卦掌と形意拳の要素を抜いた双辺太極拳」
という発想が、ふとしたきっかけで生まれた。
それは、軽い気持ちと思いつきで始めた作業ではあったが、実際にやり始めてみるとその面白さにどんどんはまっていくのを感じた。そして不思議なことに、シンプルな太極拳にしていけばいくほど、かえって三拳の繋がりが感じられるのだ。
違っているのに、かえって繋がる。
これは意外な効果でもあったし、予想外の展開でもあった。
また、いつもの双辺太極拳とは違った効果もあるのも、いろんな人の感想からわかってきた。
我々の双辺太極拳は、段階が進めば進むほど八卦掌の要素が強くなっていくが、それをあえて「抜く」という方向に働かせるのはまさに逆転の発想であろう。
しかし、こうしたフレキシビリティを持つというのも、我々の三拳弊習のスタイルとも言えるのかも知れない。
ちなみに、三拳融合をはかった我々の双辺太極拳から形意拳と八卦掌の要素を抜けば、純粋な太極拳が現れるのかと言うと、そういうわけでもない。
確かに技の中には一部、先祖がえりのように、陳式や楊式に出てくる形に似たものに変わってしまうものもあるが、やはり全体としては、いずれの太極拳とも違う「我々独自の雰囲気と理合いを持った太極拳」と言えるだろう。
それら技の変化の過程を味わうことが出来たのは良い経験と気づきであったし、何より、我々の太極拳の解釈とはこうなのだということが、より明確になってきた。
明鏡拳舎では、普段の双辺太極拳と区別するために、太極拳的なエッセンスを学ぶ為の套路と言う意味で「精花太極拳」と呼んでいるが、その精花太極拳は素直で非常にシンプルでありながら、生徒たちからの評判も良い。
というより、冒頭で書いているようにまず自分自身がはまっている。(笑)
素直でシンプルな精花太極拳。
これを亡くなった弟子に見せたなら、きっと「うわーっ」と目を輝かせて喜んだに違いない。常に「痛み」に苛まされ、歩くことすら難しい状態だったであろうに、この武術で培った繊細な重心移動や立ち方で、「歩く」ということを「再現」していた弟子。
この精花太極拳がもっと早く生まれていたらと、ふと考えをめぐらせてしまう。
「成長 ~ 日記より(1)~」に書いた、弟子の太極拳のこと。
「日曜日の午後、お見舞い&個人レッスンでH.Kさんの病室に伺った時、外の光が射す白い壁の部屋の中で、H.Kさんの太極拳を見せていただきました。一切の無駄のとれた、素直で、美しい太極拳でした。点滴のチューブを付けながら、手術したばかりの身体で、自分の身体を感じながら丁寧に丁寧にこの太極拳を打っているH.Kさんの姿が目に浮かぶようでした。それは、第二の站椿を形をとりながら、小さな歩幅で行う、動きの少ない太極拳でしたが、真面目に地味な站椿をする事からはじまり、僕が教えた通り真摯に意識して感じながら行っている姿が、H.Kさんが積み重ねてきたもの全てが、そこに見えた気がしました。套路は嘘をつきません。僕は、こんなに尊い太極拳を見たことはありませんでした。」
その弟子の太極拳に応えるような太極拳が、今になって自分の中に出来上がった、そんな気がしてならない。
そう。弟子や学生も含めて、生徒たちがいなければ生まれてこなかった太極拳だ。
例え周りにとっては価値は感じられなくとも、我々はその効果を知り、様々な意味を持ちながら大切に思う。
一人一太極拳。
そんな太極拳があっても良いだろう。

ポジショニングと内功武術

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ポジショニングはポジショニングでも、今回は介護の「ポジショニング」に絡めた話である。

介護と武術というと、巷では古武術の技術や身体操作を介護現場に活かすということが何年も前から時折話題にあがっているので、今更と思われるかもしれないが、今回の話は介護の技術を武術にという話だ。
以下は、ふとした思い付きから最近、教室で初めてポジショニングの視点から教えた時の生徒の感想である。

◆「今回の先生の、介護でのポジショニングのお話しを含んだご説明で、自分はなぜあんなに新鮮にかんじたのかな?と考えておりました。僕の中で変わったのは、練習の時等、その時点での自分にとっての答えが、自分の中にあるという感覚が増えた気がします。太極拳もゆっくりと練習してみましたが、ゆっくり行う目的を、以前より感覚的にも持てて嬉しく思いました。」

読んだだけでは何となく流れてしまうかもしれないが、この感想は、クラシック音楽のプロのギタリストであるYさんが書いてくれたものだ。

非常に繊細な身体感覚を持つ彼の言葉は、まさに自分が教えながら感じた感想そのもので、ある意味、初学者が掴みにくい内功的な部分が、ポジショニングのアプローチを使うと、彼の感想のようにとてもシンプルに捉えることが出来るのだ。

同じ意味の事は普段の練習でも教えているし、推手含め、具体的な練習方法もある。だが、それでもなお新鮮さを感じ、効果があったということは、そこに新たなヒントがあるということだ。

そもそもそのポジショニングとは何か?という話については、このブログを書くにあたって「わくわく直観堂」さんのホームページを参考にさせていただいた。

http://www.waku2chokkan.com/hpgen/HPB/entries/101.html

そこに書いてある部分を抜き出してみると、

ポジショニングは、「目的を達成するために身体各部の並びを整えてふさわしく、好ましい姿勢、体位を実現する。その姿勢・体位は安全で快適であること。」を意図したものであるということ。

またポジショニングの肝は、安定して体位を保持する、筋緊張を緩和する、体圧を分散する、動き出しの起点をつくる、という事にあるということ。

こうしてみると全体的な雰囲気として近いものを感じるかと思うが、このポジショニングの技術は、内功武術における「まず自分の身体を感じる」ということについて、新たな視点からのアプローチになりえると思うのだ。

普段よく思うことは、初心者に「まず感じる」と言っても、「何を」感じれば良いのか?それが難しい。感じるということは実感してわかってしまえばシンプルな話なのだが、わからないうちはその要求は非常に曖昧で抽象的なものだ。

ところが、ポジショニングの技術は、その導入の難しさを容易にしてくれるのである。

もちろん、それが初心者に限らず、我々にとっても意外な効果をもたらすことは、Yさんの感想でも明らかだ。

では、その「感じるものとは何か?」。

一言で言えば「力」だ。

「心、意、氣、力」の「力」。

そしてそれは、「大きな力」ではなく、「小さな力」。

介護の技術を武術にと言えば、「心、意、氣、力」の四つの視点からすると「心」がテーマになるのが相応しい気がするのだが、今回のこの話は、それが対極にある「力」からのアプローチの話になるのが面白いところだ。

だがそれも、相手の状態を理解する、相手の気持ちになろうとして生まれてきた技術と考えれば、それが「感じる」為の具体的な技術というのもしっくりくる。

重度の身体障がいを持った方というのは、コミュニケーションをとるのが難しい場合も多く、介助者が状態から想像するしかない。そして状態をより正しく把握する為に考案されたのがポジショニングの考え方とも言えるであろう。

ポジショニングとは、確かに簡単に言ってしまえば「楽な体勢を確保するための技術」であるが、その状態を確保する為の過程には、上述の知識のもとに相手の様々な「力」を感じながら、状態を探っていくことが不可欠だ。

「力」によるアプローチから相手の状態を理解することによって、介助者の思い込みによらずに、より適切な体勢を確保することが出来るのである。

我が門には「極端にしてみることで、気づきがある」という教えがあるが、内功武術の目で見ればなんのことはない、自分がポジショニングを行っている現場とは、身体や力を感じるということにおいて、あくまで同一線上にある一つの極まった状況と捉えることが出来るであろう。

自分の場合、少林寺拳法や大東流においても、整体の基本的な考え方を教わった事で技が大きく変わった経験をもっているが、結局は、治す事も壊す事も表裏一体というように、これもまた陰陽だということだ。

内功武術はつくづく繊細で緻密なものだと思う。

繊細で緻密というと、こと武術においてはこれらの言葉を聞いた場合、大抵の人が思い浮かべるのはどちらかというと「繊細で緻密だが、脆い」というようなネガティブなイメージではなかろうか。

というのも、繊細で緻密なのは「巧さ」の表現であって、「強さ」とは結びつきにくいからだろう。

だが「繊細で緻密だからこそ、構造的にしっかりして無駄がなく効率的」なのが内功武術である。

それは強固な建造物が、資材の一つ一つを吟味し、緻密に計算された上で、繊細な作業によって造られているようなものだ。

このブログでは、内功武術のブログにもかかわらず呼吸法や氣や経絡などと言った、いかにも中国武術的な話はほとんど出てこない。

だが、それだけでない内功武術がある。

理にかなった動作や武術というものは、それだけでたくさんの語るべきものをもっているはずである。

「心、意、氣」のみならず、「力」についてこんな風に語れることこそ、内功武術ならではの味わいではなかろうか。

「回想」~オンブラ・マイ・フより~

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夜、目が覚めて、ふと回想する。

今日で弟子が亡くなってから5ヶ月だ。葉桜の頃から、季節はようやくこれから紅葉を迎えようとしている。そんなまだ半年も経っていないのに、遠い昔のようにも感じるし、ついこの間の事のようにも感じる。

亡くなってしばらくは、常に練習場所には花が飾ってあった。ポカンと空いたその場所に、そこに弟子がいるかのように。写真は、その時のものだ。

弟子が亡くなった日は、ちょうど宇童会の合宿の日でもあった。

自分の生徒さんの中にクラシックギターのプロのギタリストさんがいるのだが、皆で弟子を偲びながら、生前、弟子とメールである曲についてやり取りをしたと教えてくれた。

そして、十弦ギターの優しく暖かい音色で弾いてくれたのが、この曲だった。

弟子のメールには、こんなことが書かれてあった。

—————————————-

「ヘンデルのあの曲はオンブラ・マイ・フ、または、ラルゴ、でしたね。(^_^;)

歌詞はこんなふうですって。

こんな木陰は
今まで決してなかった
緑の木陰
親しく、
そして愛らしい、
よりやさしい木陰は

中央公園の練習場所のテーマ曲?!みたい(笑)。」

—————————————-

中央公園とは、もちろん写真の場所であり、「葉桜 ~最初の弟子のこと~」に書いた、弟子が守ってくれた練習場所のことでもある。

弟子が、普段からいかにその場所を、皆が集まって練習するその空間を大切に思っていたかが、その文章から伝わってくるようだ。

花を乗せた置き石は、自分達が土の山だと思っていたものの中に埋もれていたもので、有志で綺麗に掃除をした時に出てきたものだった。

それで、そこが元は紡績会社の庭で、岩の配置も計算された美しい庭園だった事がわかったのである。岩には「太郎 吉日」の文字が彫られていた。

そうした人の心を汲む事が出来る弟子であった。だからこそ、特にこの場所を好きだと感じていたのかもしれない。

合宿にしてもそうだった。まるで、皆が集まりやすいように、師である自分に何度も愛知まで足を運ばせて迷惑をかけないようにと、ひっそりとその日まで頑張って生き抜くことを目標にしていたような気がしてならないのだ。

その証に、葬儀は合宿に全く影響することなくスムーズに行われ、むしろ合宿には本当に多くの生徒が集まってくれた。そして、合宿には急遽師父まで参加なさってくれ、初めて皆に師父を紹介し、師父の演武まで直接見せる事が出来た。

偶然と言えば、たんなる偶然の結果とも言える。

だが、自分がそこに弟子の密やかな戦いの姿をみるのは、なにより、結果のあちらこちらにいかにも弟子らしい気持ちが、心が感じられるからだ。

そこに偶然はない。

弟子が大切にし、守ったものを、自分もまた大切に守り伝えねばならない。

弟子に感謝を込めて。

「陰陽」 ~共通性と違いという視点から~

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我が門では太極拳、八卦掌、形意拳の三拳を弊習する学習システムであるがに故に、様々な形での陰陽の関係に気づくことが出来たことはこれまでにも触れてきたが、最近、それは三拳に留まらず、自分がこれまでに学んできた日本の武術と中国の武術ということにおいても大きな意味でやはり陰陽の関係に捉えることが出来る事を、おぼろげながらもあちらこちらに感じられるようになってきた。
また、見識を広める過程で様々に触れさせていただいた武術においても、同様に、様々な陰陽の関係を見る思いがするのである。

それは共通性という話でもなければ、単なる違いといった話でもない。まさに陰陽と言うべき関係性なのだが、それを見出すことでより理解が深まるように思うのだ。というより、そもそもがそうした発想によって深めていこうというのが、我々の練っているものなのかもしれない。

なによりまず、自分が様々な武術を通じてもっとも関心があるのは「共通性」よりも「違い」、つまりそれぞれの武術の特徴である。もちろん、ただ小手先の技術の違い等の話なら幾つ挙げても意味がない。どのような特徴でどのように技術が体系付けられているのか。それこそが自分の言う「違い」の部分だ。逆に言えば、その体系を一旦理解したならば、小手先の違いと思えた技術もまた必然的な理由として見えてくる。

例えば、同じ形意拳でも、ある先生のところで交流させていただいたときには、根本に置く原理原則の違いから、全く別の技術体系になっていることを再認識した。その原理原則の違いとは正しいとか間違っているとかではなく、どちらを選択するかというまさに枝分かれ的な内容のものである。事実、自分の門派とは違ったやり方で、それを活かすための素晴らしい技術や、様々な工夫が散りばめられた体系が構築されているのをみると、一度、自分の原理原則をそちらに切り替えて、ドミノ倒しの如く全てをひっくり返してみたい衝動に駆られてしまいさえする。ましてやその先生が、現代における達人先生の一人と、誰もが認める存在とあってはなおさらだ。

そうした確かな技術体系と功夫の前に自分自身が晒された時、どちらが正しい形意拳とかそういった視点はもはや無意味であり、その違いの中に何を、如何に、学ぶかだ。むしろ虚実分明と言おうか、違いや特徴が明確になることは、即ち、学びや気づきでもあり、それが単なる違いから陰陽の関係に落とし込めた時、より納得した上で繋がりを感じることができるように思うのだ。

そこに至るためには、自分の形意拳を突き詰めていればこそであるし、それが出来たのならば、自分の中でそれを併せ持った姿が、つまり、何をもって形意拳かというビジョンもまた、自然と自分の中で鮮明になっていく。

もう一つ例を挙げると、最近でもあったことだが、日本の雑誌等においては、八卦掌は大東流や合氣系の武術と似てる似た感じの武術と紹介されることが多いように思うのだが、自分は全くそうは思わない。

もっとも八卦掌自体が、開祖である董海川の弟子からして異なる風格や内容の八卦掌にそれぞれ分かれているくらいなので、他門派においてはそのように感じるものであったとしても不思議ではないことも理解している。特に程廷華はシュワイジャオを修めていたこともあり、そうした成り立ちからしても柔術系や合氣系の武道と結びつきやすいだろうし、また、実際にそのように技術体系を構築しているところもあるのではないかと思われる。それは、先に述べたように尹福が羅漢拳を、程廷華がシュワイジャオをベースに、それぞれの八卦掌を構築して行ったことを考えると、少しもおかしなことではない。

一方で、自身の八卦掌はそういった様々な八卦掌ともまた違った追求の仕方をしていることは自覚しているので、余計に全くの別物に思えるのだろう。

しかし、自分にとっては、大東流や合氣系の武術と似てると感じない八卦掌だから良いのだ。

少なくとも自分の中で八卦掌という武術についてハッキリとその像を描くことが出来るし、迷いなく追求することも出来る。

違うからこそ追求し甲斐があるし、そこに陰陽を感じ取れればこそ、繋がりもまた感じる事が出来るのだ。